響aiコンサート 公演旅行記

日程  2014年4月19日(土)〜20にち(日)
場所  福島市音楽堂(福島県福島市)

 大阪のみんなでなんとか福島を励ますことはできないのか?という思いでレガーテのTさんを中心に1年以上前から準備が始まった企画、『響aiコンサート』。関西合唱団も多くの団員が賛同して、公演旅行が組まれました。大阪からは前日よりレガーテが入り、準備をしています。19日(土)から伊丹空港を立ったのは、関西合唱団、河南混声合唱団、号笛、そしてサポーターの皆さんです。11時に仙台空港に着いてからバス2台で一路福島を目指します。

関西合唱団のバスではS2のMさんがバスガイドをしてくれました。今日の予定を説明するだけでなく、クイズコーナー、うたう会、はては今日の合唱練習と内容は盛りだくさん。指揮者の山本さんはレガーテと一緒に前日に福島入りしていますので、指揮なしで合わせます。 そこでT2のSさんの登場です。小型のギターにマイクコードを指し、隣のB1のKさんに愛用のiPad(楽譜が全て入っている)を持たせて、うたう会の伴奏だけでなく、合唱曲の伴奏もしてくれました。
午後1時に福島市音楽堂に到着しました。ホールは入口こそ小さいのですが、ホールの中は大変大きく、合唱専用と言って良い作りになっています。響きもとってもステキです。ステージの団が固定で、壁面がタイル張りになっているのに驚きました。 会場では福島の合唱団の方々が順次リハーサル中でした。さすが“合唱王国福島”だけあってどの合唱団も大変上手です。大阪くんだりから来たわが団の演奏が恥ずかしいです。
午後1時40分より舞台リハーサルです。曲目は「共に生きる町」と「貝殻のうた」です。指揮は山本恵造さん、ピアノは石田瑞枝さんです。少し女声の声が暗いのが気がかりです。 ということで、リハーサル室で練習です。レディーファーストを守る団としては男声は立って歌います。表情の明るくすることで女性のピッチが多少改善されました。まだまだ旅の疲れが残っているということにしておきます。
続いてホール入り口で記念撮影。わが団の伝統には無いめずらしいワンショットです。 このコンサートの練習の進行をしているレガーテのTさん。この企画を実現させた方です。福島県・福島県教育委員会・福島市・福島市教育委員会・福島民報社・朝日新聞福島総局の後援も取り付けました。
着替えを終えて再度ロビーの隅に集まり、意思統一です。演奏教育部長のS1のKさんの進行で特別団員のT1のKさんや他の方々から思いを語ってもらいます。 最後に指揮者の山本恵造さん、団長の山本則幸さんのありがたいお話で締めます。この後、すぐに出演となり、その後は会場の後ろの座席(これも指定されている)に座って演奏会を聞きます。
演奏会の途中の写真はありません。前半は福島以外の演奏。みやぎ紫金草合唱団、関西合唱団、国鉄のうたごえ合同、仙台合唱団、河南混声合唱団、レガーテ、絹の道合唱団。後半はラ・ラ・ラ、福島市おかあさん合唱団&安積フィメールコール、福島メール・ハーモニーが歌いました。福島の女声の声のよさ、歌の素晴らしさには驚きました。そして、福島市立福島第一中学校合唱部の透きとおって会場を圧倒する響き、福島県立福島東高等学校合唱団や福島大学混声合唱団の美しい響きに感動。
やっと最後に会場の皆さんと「ふるさと」を全員合唱します。
団員の半分が舞台に上がり、残り半分は会場の周りに立ちます。午後7時過ぎに終演。関西合唱団員やはすぐに着替えて荷物を持って交流会場へ出発です。
午後8時から福島ビューホテルの3階の宴会場で交流会が始まる予定でしたが、みんなの到着が遅れています。入口で渡されるA〜Zまでの札のあるところに行き、他の合唱団の方と交流ができるようになっています。
8時20分頃に開会を宣言し、乾杯。すぐにオードブルの前にはこのような人だかりが!
そして各テーブルではいろいろな合唱団の人との語らいが。
各団体が交代で挨拶をし、歌を歌われる際はわが団の石田さんがピアノを担当されました。 みやぎ紫金草合唱団は「会津磐梯山」を踊りを付けて歌われました。
関西合唱団は6月の演奏会の最後に歌う「僕のつくる道」の作詞者である あべもえか さんとそのお母さんを囲んで「僕のつくる道」を歌いました。この曲もバスの中で練習してきました!T2のSさんのギター伴奏も付けて! このコンサートの企画責任者のレガーテから代表で挨拶を頂きました。
最後に関西合唱団の団長や山本則幸さんより閉会の言葉。 そして全員合唱で「ふるさと」を歌いました。
この後、多くの団員は2次会へと繰り出し、ホテルに帰るのはみんな次の日になったとのこと。筆者はさっさとホテルに帰りました。 次の日はバスツァーで被災地を回ります。やはり目で見て体験して被災の現実を知りたいと思うからです。
野馬土プロジェクトの代表者の三浦広志さんに案内をしていただき、福島第一原発「20km圏内ツアー」を行いました。三浦さんは福島第一原発の炉心から11kmの地点にある5haの農地で専業農家を営み、無農薬・減農薬の米や野菜などを作っていたのだそうです。 20km圏の外はそれなりに生活のにおいがするのですが、20km圏内は警備員が立っていて、許可を受けて入ります。ここからは国が管轄しているためほとんど復興の手が入っていないとのことです。途中で三浦さんが「あそこにうちの田んぼや家があった」と言っていました。
頑丈な建物は残りますが、そのほかは全て津波で流されたて更地になっています。人が入ることができないため、復旧ができないのが悔しいです。 海からか流された船があちこちにうち捨てられています。「国はほとんど何もしてくれないし、現地に足も運んでくれない。現状を訴えるために我々が出かけていかなければならない。」と語っておられました。
しかし、福島の農業を再生して元気になるためにNPO法人「野馬土」を立ち上げたのだそうです。ここはその事務所でありお店。みんなで入ってお土産をたくさん買っていきました。三浦さんとここで別れ、次は松島に向かいます。 松島も津波で被災して、観光客が減っているとのことでしたが、午後2時を回って食事処に付いたのですが、ほぼ満員。食事が終わってから観光船で松島巡りです。船内では大変話のおもしろいガイドさんが津波のことを説明してくれました。海苔やわかめ、牡蠣はまだ生産量が3割程度なのだそうです。ガイドさんの話につられて船を下りる際はみんな土産物が増えています。
海猫がたくさん飛んでいました。えさをやってはいけないそうなのですが、船の上で何人かの団員がせっせと空中でえさをやっておりました。 船着き場の前で何かのお祭りか神事をやっていました。ここから一旦、仙台空港に行き、早い便で帰る人を下ろします。遅い便の人は、次に仙台空港の先の閖上等仙台空港周辺被災地の見学に出かけます。
名取市閖上地区です。がれきは撤去されていますが、家があった土台が残っています。たくさんの犠牲者が出た地域です。海沿いのため、まだ復興のための工事などは始まっていません。あちこちに花や飲み物などが手向けられていました。 この建物は頑丈にできていたせいで1階部分を流されても残ったのでしょう。近くの家の跡地には小さな机の上に焼香台が作られ、花が生けてありました。この後、仙台空港に帰り、午後7時の便で伊丹空港に向かいました。