定期演奏会の紹介

創立20周年記念音楽会(大阪)の紹介

 中央合唱団・関西合唱団・名古屋青年合唱団合同
 創立20周年記念 音楽会

演奏日時 1969年 5月29日(木)/30日(金)午後6時開演
演奏会場 フェスティバルホール/産経会館
指   揮 井上頼豊/川路隆示/浜島康弘/守屋博之/渡辺一利
ピ ア ノ 三浦洋一/武井博子/中村幸子
アコーディオン 立松千寿/藤林克寿/松永勇次/松本隆治/吉田親家
オーケストラ 大阪音楽センターオーケストラ
出   演 中央合唱団/関西合唱団/名古屋青年合唱団
ス タ ッ フ 楠本和彦 ほか(演出)
企   画 合同音楽会実行委員会
芸術指導 関鑑子
主   催 三合唱団音楽会実行委員会

演 奏 曲  1部 プロローグ
あかつきの空に                 (曲:大西進 編曲:外山雄三)
春の行進曲                    (詩:ミハイルコフ 曲:ドナエフスキー)

世界をむすぶうたごえ

【中央合唱団】
狩人の合唱                    (曲:ウェーバー)
つばめ                        (アルメニア民謡)
アムール河の波                 <(曲:キュッス)

【名古屋青年合唱団】
リムジンガン                    (詩:朴世永 曲:高宗漢)
三交替節                     (詩・曲:三浦朗生)
大須っ子                      (曲:林学)
春の使者                     (詩:金子静江 曲:林学)

【関西合唱団】
美わしのキューバ                (詩:E・ザボリト キューバ歌曲)
りんごの花咲く頃                 (詩:イサコフスキー 曲:ブランテル)
黄水謡(カンタータ「黄河大合唱」より)    (詩:光未然 曲:洗思海)
「森の歌」より                   (詩:ドルマトウスキー 曲:ショスタコーヴィッチ)
 4章 ピオネールは木を植える
 5章 スターリングラード市民は前進する

【三合唱団合同】
わが人民の心はひとつ             (曲:ド・ニュアン)
栄光(歌劇「イワン・スサーニン」より)    (曲:グリンカ)

        2部 郷土のうたとおどり
佐久島ばやし                   (愛知)
八木節                       (群馬)
花笠おどり                     (新潟)
沖揚音頭                     (北海道)
庄原の田楽                    (広島)

        3部 歌劇「沖縄」ハイライト           (歌劇「沖縄」製作委員会)
 プロローグ
 清子の朝のうた
 農民のうたとおどり 他

エピローグ
祖国きづくぼくら                 (詩:中央合唱団 曲:大西進)

チラシ(表)

ごあいさつ

プログラムより
 このたび中央・関西・名古屋合唱団が、創立二〇周年を迎え、記念の音楽会を催しますにあたり、創立以来の各地みなさまのご援助に心から感謝いたします。
 うたはたたかいとともに二〇年間、日本の風雪、困難をみなさまとともにたたかいぬき、うたごえは平和の力を実践してまいりましたことは、今後の活動のかてとなることと思います。何とぞ、末永く変らぬあたたかいご指導、ご援助をお願い申し上げます。
1969年5月29日【日本のうたごえ実行委員長 関鑑子】


みんなで手を組んで前進しましょう
【関西音楽舞踊会議】
 三合唱団の演奏会おめでとうございます。
 三つの合唱団がいっしょにうたうということは、何でもないようで実に大変なことだと思います。合唱団のみなさんの努力も大変でしょう。それが実現した時の役割は、実に大きいものがあると思います。音楽で表現する日本人民の団結の姿といっても決していいすぎではないでしょう。その団結の力がどれだけ誰かを驚かせ恐ろしがらせることでしょう。
 音楽の大衆運動であるうたごえと、私たち関西音舞会との力が結合できれば、それはきっと日本の大きな力となるのではないでしょうか。音楽で表現する日本人民の団結はますます大きなものとなって立ちはだかることができるでしょう。
 みんなで手をにぎり合い肩を組みあって前進しましょう。


新しい段階への発展をめざして
【大阪のうたごえ協議会】
 創立二〇周年記念合同音楽会に心から「オメデトウ」の拍手をおくります。三合唱団の創立から全国的な音楽運動として広がってきたうたごえ運動が、今日のようにすばらしい発展をとげてきたその基礎には常に国民大衆に依拠し全国の索引車としての三つの合唱団のたゆまぬ努力があったからこそと思います。
 現在私たちのまわりにはさまざまな音楽がはんらんし、とりわけテレビ、ラジオなどを通じて大量に流されている音楽が若い性代に対してあまり良い影響を与えていないなかで、明るい健康な歌、生活の中からにじみ出てくる歌、すべての国民に親しまれる歌が求められています。このような国民大衆の要求に根ざしたうたごえ運動の役割はますます重要になっています。
 今日の音楽会で示された内容は二〇年間の運動の達成点として、私たちがほこるべきものであります。現在安保廃棄、沖縄返還の要求を中心とした全国民的なたたかいがもえ広がろうとしているとき、うたごえは統一の力として一層努力しなければならないと思います。とくに歌劇「沖縄」の完成とその上演活動の成功をめざして、うたごえ運動は新しい段階への発展をせまられています。三合唱団を先頭に一層前進しましょう。

メッセージ

プログラムより
歌は闘いと共に
【大阪勤労者音楽協議会】
 「歌はたたかいとともに」五五年頃うたごえにとってひとつの大きな試練があった。さまざまな解決の方法の中で、うたごえは、うたう民衆の生活の現実を、「うた」につくりあげる道を選んだ。今日、二十周年を民衆の強い共感の中で、迎ええたのはこの運動の成果であると思う。大きく変わっていく現実を、働く民衆のきびしい目でみつめつつ、ともに偉大な「変革のうた」を作り出していきましよう。


働く人びとの中に根をおろして
【松島治重】
 うたごえ運動が始まってから、もう二十年もたち、関西合唱団も中央合唱団も名古屋青年合唱団も、しっかり働く人びとのあいだに根をおろされました。
私は、いま流行の歌をきくことはほとんどありませんが、テレビをみて、困った歌がはびこっているのに閉口したり、ふんがいしたりしています。
 それで一層、みなさんの合唱団の歌の水準がさらにさらに高くなることを願うものです。またみなさんの中から、多くの人に親まれる健康なすぐれた作品が生まれることをつよくのぞむものであります。歌は若いうちです。年とってからでは、歌えるようになろうと教わってみても、頭も舌も思うようにまわらないものです。これは私の経験です。合唱団が、もっともっとたくさんの若い人たちをひきつけるようにして下さると非常によいと思います。(日本共産党中央委員会幹部会員大阪府委員長)


日本の音楽界の壮大な迫力として
【柴田仁】
 日本のうたごえ運動は、着実に、日本の音楽運動として大きな歩みを進めています。その歩みをみていますと、まことにたのもしく力強いものがあります。
 しかし、こういう外見からの力強さのかげにも、実は多くの努力や、合唱団員一人ひとりの苦しみやたたかいの積み重さねが秘められているのだと思います。わたしたち外部のものは、現象としてあらわれたものをだけしかみないで、いろいろとその内容までおしはかっているわけですが、それでも、ここ数年、関西のうたごえの音楽的な前進はめざましいものがあったと思います。
 日本の大きなセンター合唱団が三つあつまって、その成果を聞かせることは、なんと日本の音楽界にとって壮大な迫力を示すことでしょう。もちろん、この三合唱団の合同演奏を支えている全国一千万のうたごえの力を見落とすことはできません。二十一年目への歩みへ、大きく着実に足を踏みだして下さい!(音楽評論家)


心をあわせて歌うことは
【笹田和子】
 さわやかな初夏の大阪で、歌声運動の合同公演を開催されますことは、本当に喜ばしいことで、心からお祝い申し上げます。
 歌うということは、忙しい生活を送る私たち現代人にとって、疲労や緊張からの解放であり、明日への希望の光、心の支えともなってくれます。
 腕を組み、肩を抱き、心を合せて歌うことから暖い心の交流が芽ばえ、同志愛が自然に生まれてくるのではないでしょうか。
 皆様の歌声運動が若い人たちの情操面を啓蒙し、生活の中でともすれば忘れがちな、精神面を豊かに潤おし、人間性の回復に大きな役割をはたしてくれるものと期待しております。
 このような意義深い運動を続けてこられ、そして本日、立派に合同公演を実現された関係者の皆様の多大のご苦労を思うと頭が下ります。
 本公演のご成功と今後のご発展を心からお祈り申し上げます。(声楽家・京都市立芸大教授)


さらに大きく花咲かせてほしい
【高石友也】
 時代がすぎて人がふえれば、人の中味はうすくなるって本当かな……。混とんとした現代に人間が人間らしさをとりもどそうとするように、歌も歌らしさをとりもどそうとする。アメリカ民衆の抵抗の土に育ったフォーク・ソング……。僕が大阪でフォークをうたいはじめたころ、このかっこいい部分だけ切りとったいわゆるマスコミにのったフォークブームというのが、消えようとしていた。でもその根っこを育てたかった。どんなに育つかわからない。マスコミという巨大な怪物に押しつぶされるかもしれない。でもそばに関西合唱団が大きな花を咲かせている。名古屋にも東京にも。土の中に根をおろし、人びとの心の中に……。さらにさらに大きく咲かせてほしい。コスモスの花をみると僕の心はなごむ、静かに勇気がわいてくる。(フォーク歌手)

曲目解説

プログラムより
あかつきの空に (大西進曲)
 六七年十二月喜屋武(キャン)の土地を守る闘いの勝利の報に接した作者が本土と沖縄がひとつになって、独立を勝ちとり、ベトナム連帯の闘いをすすめる決意を沖縄県の花”デイゴ”に託して、若々しく力強く歌いあげたもので、六八年日本のうたごえ祭典で「一坪たりとも渡すまい」の歌と共に六八年度荒木栄賞を受賞しました。
 七〇年安保廃棄の闘いと結合しての沖縄全面返還の闘いが全国的に盛り上がる中で、いま、全国に広がっているこの「あかつきの空に」は三合唱合同音楽会の最初に歌われます。

春の行進曲 (ドナェフスキー作曲)
 ソビエト最高の大衆歌曲作曲家ドナェフスキーの代表作の一つで、一九四七年の映画「春」の主題歌。ファシストとのたたかいに勝利し、戦後五ヵ年計画の成功と明るい未来をめざす、国をあげての杜会主義建設の先頭にたつ青年のわきたつ心を、躍動する幅広い旋律でいきいきとうたっています。

狩人の合唱 (ウェーバー作曲)
 ドイツロマン派オペラの創始者であるウェーバーが作曲した最初のドイツ国民オペラ「魔弾の射手」の中の合唱曲。このオペラの第三幕で「狩ほど楽しいものはない」と勇壮な狩猟のありさまをうたう男声四部合唱の曲です。日本では典型的な男声合唱曲として明治以来愛唱されています。

アムール河の波(キュッス作曲)
 数々の闘いの歴史を秘め、ゆたかに流れるアムール河(黒竜江)をうたったロシアの代表的なワルツで、河の流れそのままに広くまた、やさしく、力強くと変化する美しい旋律は日本でもひろく親しまれています。
 ゆきかう船人たちの明るい声うずまき流れる河波、ゆるやかにまた、はげしく逆まく波しぶきなど、変化にとんだ旋律を、ワルツのテンポにのって生き生きと歌います。

三交代節 (松浦朗作曲)
 「世界にほこる最新鋭の製鉄工場」のガス中毒、感電死、手をとられ、足をとられるきびしい労働災害と徹底した合理化と労務管理、その中での作業長制度による職場のしめつけ、こんな職場の三交替勤務の生活と気持をいきいきとうたった曲で、東海の創作活動者会議で作った職場のうたの成果を生かし創作されたものです。
 職場の生活と労働者のくじけない、底ぬけの楽天性を率直にうたった曲として、働く仲間にうたう喜びと団結をひろめ、一千万人のうたごえをひろめる重要な弾丸として、ますますひろく歌われています。

黄水謡 (黄河の流れにうたう)(光未然作詞、洗星海作曲)
 朗読、独唱、混声合唱と交響楽のためのオラトリオ、「黄河大合唱」の第四章の曲です。
 黄河大合唱は、中国民衆が郷土を守ろうとする激しい意志を反映した画期的な作品で、それは、中国人民の不撓不屈の精神を完全に表現したものであり、日本帝国主義に対する中国六億人民の共同の闘い、偉大な民族のうたごえだった。黄河大合唱は一九五二年十月三十日関西合唱団により初演。一九六三年六月、神戸労音例会で、大阪フィルハーモニー交響楽団と共に全曲を完全演奏しました。

オラトリオ「森の歌」 (M・シヨスタ・コービツチ作曲)
 この曲は、合唱と管弦楽のための大規模な交響曲で、豊かで新鮮な旋律にみちた歌詞と音楽によって、平和な生活と建設をたたえています。全七楽章より成る「森の歌」は一九四九年に作曲、翌五〇年に発表されました。
 この歌の中心は、第二次世界大戦が終って、ソビエトの中心部の荒模たる砂漠地帯を緑化する計画とむすびついたもので、一九四九年度スターリン賞第一席を授けられました。
 今日演奏する第四章は明るく無邪気な楽想をもち、最初のトランペットの旋律が子供を植林へと誘います。そして児童合唱により明るく行進曲風にうたわれます。
 第五章は働く喜びを全合唱によって歌い上げる歓喜に満ちた大行進曲。

栄光 (グリンカ作曲)
 ロシア国民音楽の父、グリンカの歌劇”イワン・スサーニン”の終幕(エピローグ)の大合唱曲です。
 この歌劇は、一六一二年ポーランド軍の侵略に際し、命をささげて、祖国ロシアを守った農民、イワン・スサーニンを主人公とし、祖国と人民への愛情と献身を描いたものです。
 「栄光」は終幕モスクワ赤の広場の場面で勝利の鐘が鳴りひびく中で、農民イワン・スサーニンの死を群衆が悼み”祖国に栄光あれ、祖国万歳!”とうたいあげる壮大な迫力にみちた大合唱曲です。
 一九六七年、日本のうたごえ祭典で、十月社会主義革命五十周年を記念し、中央合唱団とABC交響楽団によって演奏されました。

揚音頭 (北海道)
 有名なソーラン節の元唄で、北海道室蘭合唱団によってほりおこされ、一九六二年日本のうたごえ祭典で全国に紹介されました。(1)はおい(2)あみおこし(3)きりごえ(4)数の子落し(5)ソーラン節の五部からなる雄大な唄です。

田楽 (広島)
 田楽はきびしい田植えの労働の中で生まれた踊りで、集団作業をすすめる明るさ、リズムがいきいきとあらわされています。豊作と慰安の願いが結びつき、供養田植えといわれる田楽に発展し、ひろく農民の仕事歌として受け継がれてきました。
 六三年日本のうたごえ祭典に紹介されて以来ひろく普及され、六四年ソビエト公演をはじめ国内外で演奏されています。昨年第九回世界青年学生平和友好祭に参加した日本のうたごえ代表団が、民族舞踊の部のコンクールで金賞を受賞しました。

花笠踊り (新潟)
 米どころ新潟県の農作業の手さばきがもとになって生れた優雅な踊りです。六八年二月中央合唱団郷土班が地元保存会から学び、第七回郷土のうたとおどりの講習会で発表、講習されました。以後、全国各地でひろめられており、六八年日本のうたごえ祭典では全国合同で踊られました。

祖国きづく僕ら (大西進曲)
 中央合唱団創立二十周年記念創作曲のひとつ。「安保を廃棄し、祖国を僕らに!」のテーマで創作されたもので「祖国の花咲く未来は僕らの腕で築くのだ」という確信を明るく、はつらつと歌い上げています。六八年九月に開かれた中央合唱団創立二十周年記念第一回音楽会で初演、いらい全国で愛唱され、六八年、日本のうたごえ祭典で関西合唱団、名古屋青年合唱団、中央合唱団の三合唱団によって合同演奏されました。


日本のうたごえ運動とは
 戦後の荒廃のなかから、美しい平和のうたごえが産ぶ声をあげて二十年、関鑑子氏の指導のもと、中央合唱団創立にはじまる日本のうたごえは年ごとに運動の輪をひろげ、いよいよ青年期を迎えました。
 毎年一回、東京でひらかれる日本のうたごえ祭典は、今では全国の代表によるうたごえの大交流であるばかりではなく、秋をいろどる民族の大祭典、平和としあわせをねがう国民の大きなデモンストレーションとして、海外にもひろく知られるようになりました。ここには、国民各層のさまざまな生活、要求、たたかいがうたごえに花さき、生きる喜びと明日への希望が、歌ごえの翼にのってはばたくのです。
 日本のうたごえは、(1)平和で健康なうたごえを国民のものにする(2)日本の民族的な音楽のすぐれた伝統をうけつぎ、国民音楽の創造と普及につとめる(実行委員会規約第二条)の目的に向かって、着実に前進しております。
 そして当面一千万人をめざし、誰でも、どこでも、いつでも参加できる「みんなうたう会活動」を基礎に、うたう集団のほか、創作、民謡、器楽などのグループを単位として運動をすすめています。これらの集団やグループは、全国の市町村、各産業の職場、学園に数多くつくられ、日本のうたごえ実行委員会は、これらの集団を基礎とした全国的統一組織です。そして、年一回ひらく日本のうたごえ祭典のほかに、各地、各産業別ごとの交流や祭典も行なわれています。
 まだうたごえに参加されたことのない方は、ぜひ気軽にお出で下さい。うたごえ運動に参加するには、そうした地域、職場、学園のうたう会にはいるのが一番の早道ですが身近にそうしたところが分らないときは、関西合唱団にお問い合わせください。

オペラ「沖縄」について

プログラムより
 はてしない海原は
 こんぺきに輝き
 豊かな黒潮に
 かかえられた沖縄よ
 きらめく珊瑚礁
 照りつける太陽
 七十の島々つらなる
 その中に するどく天をさす立頂
 おお 伊江島よ

 ここではたくさんの人が死んだ
 娘も息子も海も岩も緑も
 すべて砲弾でふきとばされ三千五百の ああ
 なんと多くの兄弟が
 この島でたおれていったことか......
    (プロローグ一部)

 日本のうたごえ実行委員会は一九六七年八月二十二日、第四回実行委員会で沖縄の祖国復帰のたたかいを主題とした歌劇、「沖縄」の制作に取りくむことをきめました。「沖縄を日木に取り返し日本の独立をかちとるたたかいをはげまし、アメリカのベトナム侵略に反対し、ベトナム人民を支援する連帯活動の大きな力とする」

 一九五三年いらい沖縄伊江島村民は米軍に家をやかれ、ブルドーザーで押しつぶされ土地を取りあげられましたが、「乞食行脚」をやり、夜半に基地の鉄条網をきりとるなど、不屈のたたかいを続けて祖国復帰の先頭にたっています。

 日本のうたごえは十数年以来一貫して「沖縄を返せ」をはじめ数多くの歌曲をつくり、沖縄返還、日本の独立のたたかいに積極的に参加してきました。そして一九六四年いらい、十次にわたる沖縄派遣日本のうたごえ代表団をおくり交流を深めてきましたが、一九六五年大合唱曲「返せ沖縄」を本土と沖縄と共同でつくり出し、一九六七年には混布土地守る会と集団で「一坪たりとも渡すまい」をつくり全国にひろめてきました。

 強制接収は一九五五年三月十五日から始められ、最初の夜、武装兵に包囲されてしまっている中で、真謝区民は公民館で区民大会をひらきました。三〇〇名の農民が三〇〇名の兵隊とどう闘うか、という討議がくり返されました。

 ”米軍も人間だから誠意は通じるはずだ””土地を守るのは生きるためだから一人の死者もだしてはいけない”そして”無抵抗の抵抗で闘うほかない”という結論に達し陳情規定がきめられました。この規定は反米的にならないこと、会談のときは必ず座ること、耳より上に手をあげない、軍を恐れない、人間性においては生産者であるわれわれ農民のほうが軍人に優っている自覚を堅持……というふうに十一項目にわたってあげられました。この規定は今でも伊江島の闘い、沖縄の土地闘争の中で生きつづけています。銃剣をつきつけているアメリヵ兵を前にして怒りと憎しみの炎ともえながら、反米的にならないこと、耳より上に手をあげないこと、こういうことを決めなくてはならなかった農民の気持を思う時、私は泣けて泣けて仕方がありませんでした。
 これが沖縄の歴史です。

 日本のうたごえ運動が二十年の間で生み育ててきた全国の創作活動家を中心に、歌劇「沖縄」の創作はいま、急ピッチですすめられています。日本レースの若い娘たちは、きよ子のうたをぜひ自分たちでつくりだそうと、名古屋の鉄鋼の労働者、大阪の新聞労働者たちはそれぞれの職場の合唱団やサークルでぜひ、労働者のうたをつくりあげようと、また全国の中心合唱団ではぜひ、終幕の大合唱曲をつくろうとそれぞれ全力をあげて、このオペラを成功させようとがんばっています。台本の第二稿もすでにできあがって全国各地にひろめられています。今日、会場にいらしていただいた皆さん、日本のうたごえ運動が総力をあげて取くんでいるこのオペラの成功にぜひ力をかして下さい。大阪での上演は、一九七〇年三月二十一日、二十二日の両日、厚生年金大ホールで初演の予定です。伊江島の人々もこのオペラの完成と上演を首を長くして待っています。時あたかも一九七〇年、フェスティバルホールでは、ベルリンオペラの開幕中、日本人民の初めてつくりだすこのオペラが、日本人民の独立と平和をすすめる闘いをさらに強く部厚い力にしていくことでしょう。


オペラ「沖縄」大成功のためにがんばりましょう
【京都ひまわり合唱団】
 日本のうたごえ創立二十周年記念三合唱団音楽会の成功おめでとうございます。
 京都でも、二十年の闘いの中で運動は前進してきましたが、”日本の夜明けは京都から”にふさわしいうたごえ運動としていくために、ますます私たちの任務は重いと思います。この音楽会を、日本のうたごえの二十年の達成として、私たちはそこから学び、来年三月上演を予定している歌劇「沖縄」の大成功のためにがんばりたいと思います。

三合唱団の横顔

プログラムより
中央合唱団
 中央合唱団は、戦後の荒廃の中で、関鑑子先生の提唱により、音楽をもって日本の平和と民主主義のために献身し、働く人びとに奉仕する尊い目的をもって、一九四八年二月、二十数名の青年労働者によって創立されました。
 中央合唱団は、主宰者関鑑子先生の指導で最初から、働く人びとの生活と闘いのうた、日本民謡、世界人民のうたなど、平和で健康なうたごえをひろめ、二十年間「うたごえは平和の力」のスローガンをかかげ、たたかいのある所、かならずうたをもってはげまし、全国各地、各職場での、演奏と活動を通じて、三百万人のうたごえをひろめる原動力をなしてきました。
 団は、一貫して、社会主義国をはじめ、世界のすぐれたうたをうたいひろめて、日本国民のものにするとともに、国際友好と親善をつよめる活動にとりくみました。世界青年学生平和友好祭(五五年ワルシャワ、五七年モスクワ、五九年ウィーン、六二年ヘルシンキ、六八年ソフィア)中国公演(一九六一年八月)インドネシアのガネフオ(一九六三年十一月)など、全国のうたごえ代表とともに成功させました。
 現在、東京都内に五ヵ所、七分教室をもち、職場・地域で活動するため六ヵ月間の音楽教育をうけた研究生修了生は七十三期研究生を迎え、八千五百名におよんでいます。その中から、団員となってさらに音楽の訓練と学習・団活動をすすめている職場団員二百五十名。常任団員として、音楽学校同様、音楽各方面の勉強と活動を重ねている在校生および五ヵ年間の教育課程を終了して、各分野に活動している卒業生は三十九名。また北海道、東北、関東、北陸、東海、関西、九州の各地万に、常任教育者を派遣し、全国の運動を系統的にすすめています。
 このように、一千万人をめざす日本のうたごえ運動の推進刀となっています。

名古屋青年合唱団
 うたごえを愛する関西の仲間たちに、心からの連帯のごあいさつを申し上げます。
 私たち名古屋青年合唱団も、一九四八年、中央合唱団の指導のもとに、東海地方における中心合唱団として誕生しました。その後、一貫して、青年に明るい未来をあたえ、日本国民の伝統に根ざした音楽をうたいひろめるため、一千万人うたう会活動を中心に、職場で地域で、東海地方のうたごえ運動の先頭に立って日夜奮闘してきました。現在、団員約百名、六ヵ月間の研究生制度をもうけ、新しい活動家を育てています。
 創立二十周年を迎え、うたごえ運動の大躍進をめざし、新しい段階を迎えた今日、一九七○年には安保条約を廃棄し、沖縄の全面返還をかちとるため、みんなうたう会をもっともっと大きくし、歌劇「沖縄」の製作上演を成功させ、一千万人達成をめざし、ともにがんばりましょう。

関西合唱団
 「このようなうたごえを大阪にも巻き起そう。合唱団を作ろう」中央合唱団の第一回関西地方公演(一九四八年八月)は大阪の若者の心を燃え上らせた。九月五日青共関西合唱団が創立された。最初集ったのは六人の青年労働者であった。十七、八歳の若者の一人ひとりの心の中には一つの信念が真火に燃えていた。
 ”労働者の中から、俺たちのうたごえをまきおこそう”
”全関西中に働く者のうたごえをひろめ、その中心になる合唱団をつくろう”
 それから、二十年、日本の歴史の風雪に鍛えられ、みなさんの中で育くまれ、みがかれた関西合唱団は五百名に成長し、一九六七年十月には、二十万人の協力で「大阪音楽センター」を建設しました。
 「何年前のことでしょうか、私がはじめて関西合唱団の演奏を耳にしたのはーその響きは地の底から湧き出るように力強くその姿勢は、まばゆい程に明かるいものでした。そしてその力強さやまばゆさは、一体どこから来ているものかと深く考えさせられたものでした。毎日の激しい労働の中で汗にまみれ、疲れていても、お互いに励まし合いながら一つの目標ー真実を求めることーに向っている。
 そのことがあなた方の音楽の源泉となっているからに違いありません」(瀬野光子氏)
 大阪音楽センター完成によって運動は新しい発展段階に入りました。今、私たちは、いっそう深く職場に根をはり、一千万みんなうたう会運動をくりひろげ、大衆の要求にみあった教育活動を質量とも強めようとしています。
 一九七〇年安保廃棄、沖縄全面返還の闘いを前にして、今こそ明るい日本をつくるうたごえを高め、歌劇「沖縄」の製作上演をはじめ、日木の音楽の民主的民族的発展のためにがんばりたいと思います。