定期演奏会の紹介

第27回定期音楽会の紹介

 さわやかな5月の風にのせ 日本人の心と、
 ふるさとのうたをうたいあげる
 5月の音楽会  にほんのうた

演奏日時 1973年5月21日(月)・22日(火)・23日(水)午後6時30分開演
演奏会場 大阪青少年会館文化ホール
指   揮 守屋博之/本並美徳
ピ ア ノ 山下和子
吉田親家(アコーディオン)
特別出演 亀田美佐子(バイオリン)(21日、22日)/
井上頼豊(チェロ)(23日)
出   演 関西合唱団/関西合唱団アコーディオン班/ログメイツ

演 奏 曲  1部 プロローグ
五月のうた                   (詩:森田ヤエ子 曲:荒木栄)

さんさ踊り                    (岩手県民謡)
馬鹿ばやし                   (千葉県民謡)

”大阪のわらべうた”より         (編曲:中野律子)
  天満の市
  雪ばな散る花
  おんごく

”抵抗の歴史の歌”            (脚本・演出:かたおかしろう)
  竜門てまり唄                (奈良民謡 採譜:奈良蟻の会)
  オッペケペ節                (自由童子 川上音二郎)
  戦友                     (詩:真下飛泉 曲:三善和気)
  南葛労働者の歌              (原詩:築比地仲助 第三高等学校ボート部の「周航の歌」より)
  団結の力                  (詩:不明 曲:石井五郎)

からたちの花                 (詩:北原白秋 曲:山田耕作)
まちぼうけ                   (詩:北原白秋 曲:山田耕作)
かやの木山                  (詩:北原白秋 曲:山田耕作)

特別出演
バイオリン 亀田 美佐子(21日、22日)
チェロ   井上 頼豊 (23日)

いずみたくメドレー               (曲:いずみたく 編曲:関西合唱団)
みんなでうたおう
昼の夢(ソプラノ独唱・金田康子)     (詩:高安月郊 曲:梁田貞)
小さい秋みつけた              (詩:サトウハチロー 曲:中田喜直)
花の街                     (詩:江間章子 曲:団伊玖磨)
歴落                      (詩・曲:外山雄三)

        2部 みんなが笑う日まで            (詩・曲:林学)
心のうた                   (詩・曲:関忠亮)
労働者はいいぞ              (詩・曲:関西合唱団)
大須っ子                   (詩:大須事件被告団家族会・林学/野副菊枝 曲:林学)
川                       (詩:奥田史郎 曲:松永勇次)
地底のうた                  (詩・曲:荒木栄)

エピローグ
心はいつも夜明けだ            (詩:永山孝 曲:荒木栄)
素晴らしいあしたのために         (詩:門倉訣 曲:熊谷賢一)

ごあいさつ

プログラムより
 今日は、ようこそお出でくださいました。
 さわやかな五月の風にのせ、日本の人々の心と、ふるさとをうたいあげることをテーマに、5月の音楽会にとりくみました。
 時代に流れる民衆の、平和を愛し、自然を愛するよろこび、悲しみ、思いをうたいあげるなかで、日本の音楽をみつめなおし、今年没後10周年になる労働者作曲家荒木栄の作品とうたごえ運動が生んだ代表作品をとりあげ、新しい日本の夜明けをよびかわそうと企画しました。
 5月1日、メーデーの日に50万人の「世界をつなげ花の輪に」の大合唱指揮をやりとげた直後、関鑑子先生(日本のうたごえ実行委員長)は意識不明になり死去されました。
 私達は深い悲しみと共に、先生の遺志をひきつぎ「うたごえは平和の力」の合言葉のもとに平和で健康な音楽を全国民のものにし、新しい国民音楽の創造と普及のために、運動を発展させていくことを誓いたいと思います。
 そして、この「五月の音楽会」を先生への追憶の気持をこめて演奏したいと思います。
 皆様のあたたかい御支援ときびしい御批判をお寄せ下さるようお願いします。
1973年5月21日 【関西合唱団】

メッセージ

プログラムより
関鑑子先生の遺志ひきつぎすばらしい成功を!!
 5月の音楽会おめでとうございます。 うたごえにとって今年の5月は忘れ得ぬものとなりました。
 名古屋についで多くの町々で革新統一の勝ちどきがあげられ、労働者は戦後最大のストライキで闘いをおしすすめ、第四四回メーデーはうたごえが全国をどよもしていました。
 この日本の夜明けがしらじらと始まった5月の旗とうたごえと花々の中で、日本のうたごえ運動の母であり指導者であった関鑑子先生がしっかりと赤旗の指揮棒をにぎったまま永眠されました。
 「大衆こそ音楽創造の主人公である」「うたごえは平和の力」「うたは闘いとともに」を七三歳の全生涯にわたって貫きうたごえ運動の今日を築きあげた関先生のこの理念をますます輝やかせていくことが私達の肩にかけられたことでしょう。
 5月の音楽会が、この関先生の遺志をひきつぎすばらしい成功をおさめられることを期待しています。
 うたごえは平和の力!
 関西合唱団がんばれ!
 一九七三年五月 【日本のうたごえ実行委員会 事務局長 藤本洋】


新しい方向に期待!!
 大阪のうたごえの仲間は、今日の「五月の音楽会」に大きな期待をよせ、大いに注目しています。多様な音楽要求に応えようと毎年新しい方向を追求されていることに敬意を表します。
 関鑑子先生なき後、新たな前進をめざして、共にがんばりましょう。
一九七三年五月二十一日 
【大阪のうたごえ協議会副議長 豊田光雄】


“豊かな音楽”が楽しみ・・・
 関先生に始めて作品を聞いていただいたのは22年前だったと思いますが、その頃、先生が「音楽」について持っておられたすばらしい感じ方・考え方・理想や主張を今日もっともまっすぐに受けついでいるのは関西合唱団だと思います。ですからその音楽に対する謙虚でたくましくしなやかな接し方が私は好きです。
 めったに演奏されない私の「歴落」を歌って下さるというのも大変光栄ですが、それよりも守屋さんと関西合唱団の豊かな音楽をまた聞かせていただくのも、とても楽しみにしています。
【外山雄三(作曲家、指揮者)】


日本人のほんとうの音楽創造のために
 私がオペラ「沖縄」についての意見を書きましたら、(日本のうたごえ理論誌七号)、木下そんき氏から反論をいただきました。しかし、私が言いたかったことを、木下氏は受けとってくれなかったような気がして残念でなりません。それで、私はもう一度くり返してその主旨の一部を書きました。ここでさらにもう一度書くことはできませんが、一言でいえば、オペラが果して日本人に最とも適した表現形式であったのか?ということで、それについていろいろと考えたことを書いたのです。
 オペラだけではありません。日本人で音楽をやっている人は、意外に西洋音楽という外国の音楽をやっていることに無頓着です、幸い今日では、日本の音楽がたくさん生み出されて来ています。なかでも、日本の歌曲は、ずいぶん生み出されてきました。
 −日本のうた−ことさらに取りくまれたこの合唱団の演奏会に心から期待しています。日本人のほんとうの音楽を創造するための一里塚として、この音楽会のもつ意義は大きいと思って拍手を送ります。
【柴田仁(音楽評論家)】


“訴えかける歌”をさらに大きく
 「五月の音楽会」のご案内を頂いて、まず驚いたことは、三日間も通して演奏会が開けることでした。みなさん方にとっては、至極あたりまえのことかも知れませんが、一般合唱団の多くを知っている私には、これはやはり驚くべきことでした。三種類のプログラムで定期演奏会を開かないと、定期会員の全部を収容できないN響ならともかく、一アマチュア合唱団が、よく三日間もお客が動員出来るものだな、という素朴なおどろきです。
 昨秋、関西合唱団をはじめとする「うたごえ」のみなさんと、はじめておつき合いして、ともかくことごとに新鮮な感動を受けたのですが、われわれ合唱連盟の催しもののなかで、その教訓の百分の一でも生かすことが出来たらと、いろいろ努力しております。たとえば、六月十日に豊中市民会館で開く恒例の合唱祭を、従来のような紋切り型のコンサートにせず、客席と舞台とが活発に交流するような方法を考えたりしております。
 しかし、一番大切なことは歌う人の心の問題ですから、方法だけを改めても、それほど一朝一夕にうまくゆくものではないでしょう。“訴えかける歌”が特徴の関西合唱団の演奏を、今夜も十分に聴かせて頂いて、その心をさらに大きな輪に広げてゆくことを考えたいと思っています。いい演奏をして下さい。
【日下部吉彦(大阪府合唱連盟理事長・音楽評論家)】

曲目解説

プログラムより

 川は、古来、自然の恵みのひとつであって、われわれはなんの疑いもなく、この恵みにすがって生きてきた。この地区の人たちも例外ではなく、神の通る川として、信仰にも似た気持ちで、ふるさとの村を流れる神通川にすがっていた。
 何の罪とがもなく何の過夫もないのに、この川の恵みにすがっていたばかりに、骨のとけるかなしい病気に罹ってしまい、からだ中の骨が数十ヶ所も折れてしまった
 それは全くむごくかなしいことであった。この苦闘から逃げるため、裏の小川に身を役げようとはかったが、身うごきすることもできないので、はい出すこともできなかった。まことに悲惨なことだった。
 このような恐しいことか起っても良いものだろうか。からだ中に冷水を浴びるおもいがした。私はこのミゼラブルな現実を無視することができなかった。私の研究が始まった。
 子供の頃の神通川の想い出は素晴しい。水しぶきを上げて、河童のように泳いだのもなつかしい。川のほとりで、ひねもす糸をたれる人もいた。すべては夢の国に遊ぶ楽しさであった。サンサンたる陽光と緑の地平線、碧青の海とふるさとの想い出は美しい且楽しかった。その静かな農村が荒されたのだ。恐しい地獄となったのだ。患者はまことに不幸であった。この人たちは救済されなければならないのだ。
 イタイイタイ病の歌“川”が初めて発表されたとき、これをきいた患者たちは喜んだ。嬉し涙で感謝した。これでやっと救われることができるのだ。広く世界の人に、訴えることができるのだ。
 川川、川、川、神の通る川、神通川、
 けがれを知らなかった神通川は、今、再び昔の姿にもどろうとしている。かなしみをこの歌でうち消一そうとしている。
 “川”はまことに素晴しい。フルートのでだしは美しく川の流れをかなで、その流れとともに生き、イタイイタイ病と闘ってきた患者のかなしい姿をうつし出し、私たち聴くものの心に、生命の尊さを訴えるとともに、公害そのものを告発している。
 「川は流れる、ふるさとの村を」この曲は永遠にわれわれの心の中に希望の火を灯すとともに、さらに多くの人々の心にひろがり、不幸な患者たちとともに、最後の勝利を得るまで歌い続けられるよう祈って止まない。
【萩野昇(医学博士 イタイイタイ病発見者】


大須っ子
 この曲は、朝鮮戦争の最中−今から二十年程前の昭和二十七年七月七日、夜十時ごろ名古屋の大須球場で起った大須事件をもとに作られました。大須事件は、ひとりひとりの胸の中に、平和でありたいという願いをこめ大須市民を始め約三千人に及ぶデモ隊が、行進を始めたすぐ後、五分か十分位で、警官が弾圧を加えてきたのです。デモ隊の前列にいた若者が、その弾圧に対し何も抵抗していないのに、うたれてたおれた。その若者をだきおこした時の重みの中には、、平和でありたいという願いがこめられていました。当時赤ちゃんであった、野副菊枝さんは、自分が真実を知った時に作詞し、林学さんが、その若者をだきおこした時の思いをこめて作曲した曲です。