定期演奏会の紹介

第28回定期音楽会の紹介

 創立25周年記念 関西合唱団音楽会

演奏日時 1973年10月18日(木)・20日(土)午後6時30分開演
演奏会場 フェスティバルホール
指   揮 守屋博之/本並美徳/吉田親家
ピ ア ノ 根来博子
オーケストラ 新星日本交響楽団
出   演 黒田ナミエ(アルト独唱)/
関西合唱団/アレキサンダー・ネフスキー合唱団/関西合唱団アコーディオン班

演 奏 曲  1部 プロローグ
 とべよ鳩よ                    (詩:マトゥソフスキー 曲:ドナエフスキー 訳詩:日本のうたごえ代表団)

映画「クバンのコサック」より
 序奏と収穫のうた                 (曲:ドナエフスキー 訳詩:関鑑子)
シュワジベチカ                    (ポーランド民謡  編曲:関西合唱団)
スワニー                       (曲:J・ガーシュイン  訳詩:松坂なおみ)
オブラディ・オブラダ                (詩・曲:J・レノン&P・マッカートニー 訳詩:関西合唱団)

オーケストラといっしょにみんなでうたおう
青春                          (詩:門倉訣 曲:じぬしみきお)
平壌は心のふるさと                (詩:ハツ・セイヨン 曲:モーヨンルイ 訳詩:関鑑子)
ブーゲンビリア花咲くハノイよ           (詩:櫛田ふき 曲:木下そんき)
アムール河の波                   (曲:キュツス 編曲:サカロ 訳詩:合唱団白樺)

銭太鼓                         (長野県民謡)

日本民謡メドレー                   (編曲:吉田親家)

歴落                          (詩・曲:外山雄三)

管弦楽のためのディベルティメント        (曲: 外山雄三)

カンタータ”アレキサンダー・ネフスキー”より   (曲:プロコフィエフ 訳詩:北川剛)
 1章/2章/4章/6章/7章              

        2部 祖国の山河に                    (詩:紺屋邦子 曲:芥川也寸志)
仲間達                         (詩:くすみまこと 曲:芥川也寸志)
母なる故郷                      (詩:人江晃 曲:木下航二)
俺は労働者だ                    (詩・曲:佐藤博)
たたかいの中に                   (詩:高橋正夫 曲:林光)
春のワルツ                      (詩・曲:いずみたく)
炭掘る仲間                      (詩:三鉱創作グループ 曲:小林秀雄)
母親のうた                       (詩:窪田亨 曲:寺原伸夫)
この勝利ひびけとどろけ               (詩・曲:荒木栄)
みんなは夜明けを待っている           (詩・曲:豊田光雄)
ここは故郷                       (詩:富本洋 曲:松浦豊)
大須っ子                        (詩:大須事件被告団家族会/林学/野副菊枝 曲:林学)
歌劇”沖縄”より終曲                 (制作上演中央実行委員会)

エピローグ
みんなが笑う日まで                 (詩・曲:林学)
自由なる大地へ                    (詩:坂本秀樹 曲:位田勉)

ごあいさつ

プログラムより
 二十五年前、数人の若者のうたごえから発足した関西合唱団も現在では、団員・研究生・うたごえ教室生・アコ班などあわせ五〇〇名近い陣容となり、この二十五年間に合唱団の教育機関でうたごえを勉強した青年の数は五千名にのぼります。
 そして今、全国のうたごえの合唱団のなかでも、団員の組織数・年間公演回数・観客動員数などで最高であり、創造内容もつねに運動の新しい局面をきりひらき質的にも充実してきた、といわれるようになりました。
 これもひとえにみなさまの絶大なこ支持ご援助のたまものと心からお礼申しあげる次第です。
 この創立二十五年を記念し、つねに平和としあわせな生活を願う国民の側にたってうたいつづけてきた二十五年間の蓄積の音楽的な総括と、さらに新しい発展の出発点とするために私たちは今日、音楽会を開催することになりました。
 うたごえ運動のなかからうまれ、みんなにしたしまれてきた数々の働くものの歌、わかものの歌などをオーケストラの伴奏でつづるプログラムや、カンタータの最高傑作と云われるプロコフィエフの「アレキサンダー・ネフスキー」などは、きっとみなさま方によろこんでいただけると信じています。
 若々しくしかも高い水準で定評の新星日本交響楽団の伴奏でうたえることも、私たちの大きなよろこびです。
 私たちは、この音楽会が、現代の革新の大きな前進という、うねりのなかで、さらに広範な方々に音楽を通じて人間としてのほこりや、働くもののよろこびを知っていただくことにすこしでも役立てばと力いっぱい演奏するつもりです。
 そして、このうたごえをもっともっとひろげ、十二月東京で開かれる日本のうたごえ祭典を国民の祭典として大成功させるためがんばります。
 今後とも、なにとぞ絶大な御援助を賜わりますようお願いいたします。
一九七三年十月十八日 【関西合唱団】

メッセージ

プログラムより
全国のうたごえが注目!!
 四半世紀といえば「一人の人間が立派に育ち、社会に対する責任と発言を有するようになる歴史的画期といえます。
 関西合唱団の創立二十五周年は、正にこの意味で、うたごえ運動の中での画期ということができます。
 日本の歴史が革新の時代を迎えつつあるとき、その中で人間の真実、社会と進歩への闘いを描いた音楽が切実に求められていますが、関西合唱団はこの音楽要求に四つに取りくみ、大衆の心をうたいあげています。だから今では、全国のうたごえの中でも関西合唱団の演奏が特別に注目され、期待されるようになっています。
 今回の企画が、音楽によるうたごえの歴史を描き、将来へのうたごえの展望をうかがわせるものとして、多くの人びとの共感をうることでしょう。それは、故関鑑子実行委員長の遺志をうけつぐものとなるでしょう。
 そして、そのすべての成果を一九七三年日本のうたごえ祭典に収斂されることを期待しています。
 うたごえが平和の力として、力強い貢献をするために!
一九七三年十月 【日本のうたごえ全国協議会 幹事長 藤本洋】


労働者と多くの府民に支えられた運動を!
 25周年記念演奏会おめでとうございます。関西合唱団25年の歴史は同時に大阪のうたごえ運動の歴史であり、大阪のうたごえのすべての仲間たちとともに喜び合いたいと思います。関西合唱団が25年の間にきずきあげてきた成果は、うたごえ運動の前進と大阪での音楽、文化の民主的発展に大きく貢献してきましたし、今日その位置と役割はますます大きくなっています。
 「全国民を対象にした運動にしてゆこう」という70年代の課題を実現してゆこうとする時、関西合唱団のいっそうの前進と合せて、職場、地域、学園のサークル、合唱団の発展、新しいサークルの建設のための日常活動を強く進められることを期待します。そして労音や専門音楽家、その他の音楽、文化団体との協力を大きく進め、大阪のうたごえと関西合唱団が革新大阪府政を発展させる大阪府民の様々な願いやたたかいにうたごえをもって参加し、労働者と多くの府民にガッチリと支えられた、うたごえ運動をともにすすめましょう。
【大阪のうたごえ協議会 高田和弘】


お祝いのことば
 このたび関西合唱団が、創立二十五周年を迎えられ、本日記念音楽会を盛大に開催されますことを、心からお祝い申しあげます。
 私は、今日のように変貌著しい社会にあって、心の糧ともいうべき文化の振興が、必要と考え、常々「大阪に文化のルネッサンスを」と呼びかけているところでございます。
 折しも関西合唱団の永年にわたる活動の成果を結集して、ここに創立二十五周年の催しが実現しましたことは、まことにご同慶に堪えません。
 どうか皆さん方には、日頃修練を積まれた実力を充分に発揮されまして、楽しくすばらしい音楽会となりますようお祈りして、お祝いのことばといたします。
【大阪府知事 黒田了一】


いつまでも歌い拡げて下さい
 関西合唱団の皆サン
 いつもボクの歌をコンサートで歌って下さることを心から感謝しています。
 皆サン方の活躍ぶりは、うたごえ新聞などを通じてよく存じています。
 ボクはいつまでも、いつまでも、良い日本の歌を作曲し続けます。
 皆サン方は、いつまでも、いつまでも、歌い続け、歌い拡げて下さい。
 この二つの地道な努力が、日本の平和を守り、日本を素晴らしい国にする道に通じていることを信じています。
 コンサートおめでとう。成功を祈ってます。
【いずみ・たく(作曲家)】


音楽で勝負して下さい
 ある国が、その国力を誇示しようとして、ミサイルや戦闘機を使ったらどうなるでしょう。いうまでもなく、それは戦争です。では、ミサイルや戦闘機の代りに、百の演説をブッたとしたらどうかしら。相手が聞いてくれればいいけど、耳をふさいでしまったら何にもなりません。では、シンホニーやコーラスをもってすればどうか。そうです。聞く人の心をとらえ、思わず聞き入ってしまうほどの演奏をすれば、もうこちらのものです。例えが悪いかも知れませんが、レニングラード・フィルの卓越した演奏を聞かされると、ウーン、さすがはソビエトと思いますし、またフィラデルフィア・オーケストラが、いかにも機能的な音を聞かせてくれると、アメリカという国の、経済的な基盤の厚さを感じないわけにいかないのです。
 関西合唱団の実力は、いまや押しも押されぬ存在です。よけいな効能書きや説法はいりません。音楽で勝負して下さい。それが一番いい方法です。関西合唱団の音楽は、必ずや聞く人の心をとらえないではおかないでしようから。
【日下部吉彦(大阪府合唱連盟理事長・音楽評論家)】


伝統の継承と発展の堀り下げを
 二十五年!!
 四半世紀といいますと、さすがに、その道のりは永かったと思います。この間、開かれた関西合唱団二十五年記念の会で、初代団長のお嬢ちゃんがアコーディオンを弾いていました。まさに二代目の時代に入っているのです。
 運動が始まったとき合唱団の二十代の青年が、結婚して子どもができると、もうその子どもが二十代の青年になっているわけです。親子二代関西合唱団で活躍している人があれば、それは、まさに珍しい存在ですが、そのことはさておいて、いまは、二代目の時代であることはたしかなことなのです。
 実に永い歴史を経てきたのです。
 その間、日本の情勢も多くの変化を経てきました。日本の民主運動の激動の歴史もみのがすことはできません。それを反映した民主的文化運動、音楽運動も変動の歴史を生きてきたのです。
 音楽についての考え方、感じ方もその間に変ってきて、創作曲についても大きな変化がみられてきました。最近、うたごえのなかで歌われている曲が、かつての、うたごえのなかではたして想像できたでしょうか?この大きな変化が、運動の広がりのウラにあることはみのがせません。
 しかし、一面、このうたごえの伝統のなかに一貫して流れる労働者的なたくましい血の流れをみのがすことはできません。古くは、「ラララ行進曲」といって、その歌詩を禁じられたので、メロディーだけを、ララララーと歌ったというインターナショナルの替え歌。日本の労働者のたくましい抵抗の力が感じられますが、こうした伝統は荒木栄やオペラ「沖縄」にうけつがれてきています。こういう日本の労働歌の伝統を正しく継承してきたのも、うたごえならではのことです。
 こうした古くからの伝統と新しい発展の統一が、うたごえのなかでおこなわれなければなりません。
 新しい発展が、うたごえの全き変質であってはなりません。それはもちろん発展ではありません。そうした伝統の継承と発展の問題を深く堀り下げて、うたごえは、なんのためになにを歌いついでいくのかという、そもそもの問題に一応立ち帰って考えなおしてみることも必要かも知れません。
 現在の日本は退廃的な音楽で十重二十重ととりかこまれているのですが、そうした退廃的音楽と戦っていくことが重要な課題となっています。その戦いの根拠地ともなるべき、民主的音楽のトリデとしてのうたごえの意義をよくみなければなりません。こうした民主的な音楽の、音楽運動の根拠地となるべきものに労音があり、音舞会があり、音楽教育者のサークルなどがあるのだと思いますが、その一つとして、うたごえは、大きな力とならなければなりません。この観点からみれば、うたごえがなんのために、なにを歌いつぎ、歌い広めていくかということは明かになり、うたごえの伝統継承と発展の問題もハッキリしてくるのではないでしょうか?
 二十五年の歴史は永く、情況は複雑をきわめていますが、そこには、うたごえの一貫した問題点をみることができるでしょう。わたしは、現在のうたごえのスソノの広がりを評価したいと思うものですが、しかし、頂きが一段と高まることで、それに正比例してスソノが広がった(ということはスソノの広がりの上に築き上げられた頂点が高まった)のであればいいのですが、イタダキが崩れおちて、それがスソノに広がっていったという広がり方ではダメだと思うのです。もう一つ質の高まりは量の増大と矛盾するのでなく、うたごえの質が高まったことが、量の増大と結びつくような運動を期待してやみません。それが二十五年の歴史の成果になるようにと願っています。
【柴田仁(音楽評論家)】

曲目解説

プログラムより
 戦後の焼野原のなかから平和のうたごえが産ぶ声をあげて二五年、日本の進歩的な青年と関鑑子の指導のもと中央合唱団、関西合唱団、名古屋青年合唱団の創立にはじまる日本のうたごえは、年毎に運動の輪をひろげ、青年期を迎えました。
 日本のうたごえは、国民を主人公に「平和で健康な音楽を全国民のものにする。」「日本の民族的な音楽のすぐれた伝統をうけつぎ、国民音楽の創造と普及につとめる」の目的に向って「みんなうたう会活動」を基礎に、演奏、創作、郷土のうたと踊り、器楽活動なども総合的におしすすめています。
 戦後、新しい民主主義日本をめざす運動と結びついて発展してきた日本のうたごえは一九五〇年六月に始ったアメリカの朝鮮侵略戦争に反対し、全国に平和のうたごえを広める中で、いかなる弾圧をもはねのけて燃え広がりました。
「祖国の山河に」
 一九五三年第一回日本のうたごえ祭典の全国合同曲。
「仲間達」
 うたごえの輪がサークルの輪が全国に燃えひろがっていく仲間達の熱情。
「母なる故郷」
 ふるさとを守り平和を愛する心をやさしく豊かにうたっている。
「俺は労働者だ」
 一九五四年、日鋼室蘭の「再び兵器を作るな」の斗いの中でうたい広められた。北海道の炭坑労働者の斗争の中から生れた。
「たたかいの中に」
 一九五二年五月一日「朝鮮戦争反対」を叫ぶ中央メーデー行進のデモ隊にピストルを乱射しておそいかかった警官隊に殺された高橋正夫君の胸のポケットから出てきた詩に作曲された。
「春のワルツ」
 うたごえ運動の中から戦後一万数千曲の作品が創作されていますが、いずみたくが中央合唱団の研究生の頃、作った曲。

 うたごえ運動を大飛躍させたのは、日本を大きく変えた三池・安保斗争でした。合理化反対斗争の頂点となった三池斗争は安保斗争を支えて発展し、安保斗争は三池斗争をつつんで発展してゆきました。荒木栄は、この斗いの中から「地底の歌」をはじめ数々の作品を生み出し、戦後、労働者階級が生み出した音楽創造活動の頂点を築きあげていきました。
「炭堀る仲間」
 「三池の火を全国へ」のスローガンと共にこの三池労組組含歌は「がんばろう」と共に全国に広がった。
「母親のうた」
 安保斗争を歌った組曲「日本の夜明け」より。
「この勝利ひびけとどろけ」
 一九六二・五・二五日板付墓地は十万人のデモ隊で包囲されたた。この大集会の中から生れた。
 「みんなは夜明けを待っている」「ここは故郷」−一九七一年四月、黒田革新府政の誕生は新しい時代の始まりをつげました。この中で府民全体に広がり、全国になり響いていった。
「大須っ子」
 大須事件は、一九五二年、平和をもとめる大衆デモに対する武装警官隊の襲撃によってひきおこされたもので、作曲者、林学はこの事件の被告。
「歌劇沖縄終曲」
 伊江島の基地反対の斗いをテーマとした歌劇沖縄は一九七〇年、七二年に全国上演され、(十万人以上参加)、反響をよんだ。その終曲。
【宮本実】