定期演奏会の紹介

第37回定期音楽会の紹介

 アルトゥール・エイゼンとうたう
日本のうたごえ運動30周年記念演奏会

演奏日時 1978年11月16日(木)・17日(金)午後6時30分開演
演奏会場 サンケイホール
指   揮 守屋博之/本並美徳/細川幸治
ピ ア ノ 根来博子
ログメイツ/吉田親家(アコーディオン)
出   演 アルトウール・エイゼン(独唱)/キリール・ビノグラードフ(ピアノ)
関西合唱団/エイゼンとロシア民謡を歌う合唱団/関西合唱団アコーディオン班

演 奏 曲  1部 うたごえよ翼ひろげて

八木節                             (群馬県民謡)
秋田おばこ                           (秋田県民謡)

祖国の山河に                         (詩:紺谷邦子 曲:芥川也寸志)
仲間のうた                           (詩:大江将精 曲:荒木栄 編曲:赤堀文雄)
うたごえよ明日のために                   (詩:片羽登呂平 曲:林光)
大須っ子                            (詩:林学・野副菊枝 曲:林学)
歌劇「沖縄」より「労働者の合唱」             (歌劇「沖縄」台本・作曲グループ)
ドンドン                             (詩・曲:なかにしえいじ 編曲:西良三郎)
たんぽぽ                            (詩:門倉訣 曲:堀越浄 編曲:西良三郎)
青春                               (詩:門倉訣 曲:じぬしみきお)
この大地から−1979年日本のうたご祭典記念曲− (詩:橘ヒサ子 曲:松永勇次)
桑ばたけ                            (詩:門倉訣 曲:関忠亮)
交響曲「風雪」より「道」                   (詩:土井大助 曲:外山雄三)

        2部 広大なロシアの心をうたう

独唱 アルトゥール・エイゼン
ピアノ キリール・ビノグラードフ


オペラ“夢遊病者”から
 ルドルフの抒情歌                      (曲:ベルリーニ)
オペラ“ドン・カルロス”から
 フィリップのアリア                       (曲:ベルディー)
オペラ“セビリアの理髪師”から
 ドン・バジリオのアリア                    (曲:ロッシーニ)

キリール・ビノグラードフ編曲によるロシア民謡
 バイカル/ステンカ・ラージン/オリホフコ村の事だった/ピーテル街道をゆけば/ほか
 (一部曲目に変更があるかもしれません。)

合唱 エイゼンとロシア民謡をうたう合唱団

母なるボルガを下りて                     (ロシア民謡 編曲:スヴェシニコフ)
夕べのつどい                          (訳詩:合唱団白樺 曲:ボロンスキイ)
鉄路                                (訳詩:関西合唱団 曲:I.ドナエフスキー)

独唱と合唱
バイカル湖のほとり                       (ロシア民謡 編曲:井上頼豊)
道                                  (訳詩:中央合唱団 曲:A.ノビコフ)
僕ら青年                              (訳詩:関鑑子 曲:S.ウリコフ)

チラシ(表)

ごあいさつ

プログラムより
 皆様、本日は忙しいなか、多数お集り頂きありがとうございます。
 戦後、焼野原から“青年たちに明るいうたごえで生きがいと希望を”とはじまった、うたごえ運動は、30年間に延1,000万人が参加し、「うたごえは平和の力」、「うたは斗いとともに」の旗をかかげ、日本音楽文化の発展に若い力と情熱を捧げてきました。
 有事立法の動きなど軍事ファシズムの黒い雲が今おそいかかってきている中で、今こそ1,000万みんなうたう会運動の翼を大きくはばたかせ、うたごえ運動の砦−音楽センター建設2億2千万カンパ活動と日本のうたごえ祭典を、みなさんと共に大成功させたいと思っています。
 本日はアルトゥール・エイゼン氏を迎え、うたごえの生み出した創作曲、郷土のうたと踊り、ロシアソヴェート歌曲を力いっぱい演奏したいと思います。
 次の50周年めざし、皆様方の御支援、御批判、御協力を、よろしくお願い致します。
1978年11月16日 【関西合唱団】

メッセージ

プログラムより
 皆さん方がうたごえ運動を組織し、これを守り育て発展させ、ここに30周年の記念の時を迎えられましたことを、心からお祝いを申し上げます。
 30年の歩みの中で、幾多の困難を克服しながら、日本の平和と独立を守り、民主主義を発展させこれをうちたてていく歴史的な役割りを果たしてこられたその成果と御苦労に対し、衷心より敬意を表するものであります。
 どうか今後ともに日本中のいたるところでこのうたごえをひびかせ、人間らしく生きる喜びと勇気を人々に与えることによって、日本のうたごえ運動がますます発展するよう、大きな期待を寄せています。
【大阪府知事 黒田了一】


 30年と一言で云いますが、この歴史の重さは今夜の曲目をみただけでもはっきりわかります。さらに輝かしい未来にむかっては、きっと思いもかけぬ苦しみや試練もあるでしょう。それを乗り超えてたくましく、豊かなうたごえをいっまでもひびかせて下さい。
【作曲家・指揮者 外山雄三】


 私は20年以上も前アルトゥール・エイゼンが初めて日本にやってきて神戸の海員会館で歌ったのを聴いた時の感動を忘れません。あれから何度も何度も来日してその歌を来る度ごとに新鮮に充実して聴かせてくれました。おそらく現在が年令的にいって歌手として最も充実したところではないかと思います。
 時あたかもうたごえ創立30周年の年で、うたごえ運動の先頭を走ってきた関西合唱団の音楽会です。関西合唱団はうたごえの中にあった従来のいろいろな音楽的弱点を克服し、音楽的に充実した合唱団として日本のうたごえ運動に果した貢献は実に深いものがあったと思っています。
 エイゼンとの音楽会の実現の中でこの偉大な歌手から多くのものを学びとって日本のうたごえ運動のさらに大きな飛躍へのエネルギーとなって下さい。
【関西音楽舞踊会議委員長 柴田仁】


 関西合唱団の創立30周年記念音楽会おめでとうございます。
この運動の初期、30年前に若々しく活躍しておられました幹部のみなさんは現在でもエネルギーはちっとも変らないにしても、その息子や娘と共にうたう2世代のうたごえに成長しました。気の早いところでは3世代のうたごえになろうとしています。
 これも各界、各層のみなさんの変らぬご援助、ご指導、ご支持のおかげだと思います。それから又、そのご援助、ご支持にこたえて活躍してこられたそれぞれのうたごえ活動家のみなさんのおちからだと思います。
 うたごえのこの30年間の最大の創作活動はいうまでもなく歌劇「沖縄」でありましたが、それ以外につくられた創作曲は1万をこえています。そして、つくり手、書き手それからうたごえの最高の指揮者である守屋博之さんをはじめとするすぐれた各地の指揮者を専門家の協力、援助のもとに育ててまいりました。
このうたごえ運動は、ひとつひとつの団体が組織体であると同時に創造団体で創造活動をしています。そして全国にたくさんのそういう団体がありますが、その全体がひとつの目的にむかって創造活動を展開しています。このような運動は、私の知るかぎりでは、日本のうたごえ運動以外には世界にありません。私たちのこの運動が達成したものをあらためてお互いにみつめ合い前進したいと思います。その点で、関西合唱団のみなさんがこの運動の中で発揮されました先駆性は非常にすばらしいものがあったと思います。
1957年の合唱曲「砂川」の初演、それから70年代に入りまして音楽のあたらしい傾向、フォークとかロックとかそれからいわゆるポップス系の音楽を大胆にとりいれたことと、革新府政誕生のよろこびのなかでつくられた合唱組曲「あたらしい朝のうた」のような日本の未来をえがき、未来にむかって人々をかりたてる作品とむすびつけて、つまり平和と民主々義の観点で新しい傾向をつくりあげるという意味で、すばらしい先駆性を発揮されたと思います。現在展開されています1,000万人うたう会運動も全国にさきがけて関西がまず手をつけました。そういう意味で私たち全国のうたごえ運動の中で関西合唱団のみなさんの果されました役割り、今後への果して下さるであろう力というものに非常に大きな期待をかけています。
 今日の音楽会が、うたごえ運動の80年代へのあらたな高揚の第一歩にふさわしい、輝やかしい成功をおさめることを確信し期待します。
【日本のうたごえ運動30周年記念委員会会長 チェリスト 井上頼豊】

プロフィール

プログラムより
アルトゥール・エイゼン

 ロシア共和国人民芸術家、ボリショイ劇場ソリスト、国際コンクール賞芸術家。
1927年モスクワで生まれた。1948年、グネッシン音楽院に入学し、声楽家への一歩を歩み始めた。
1953年赤軍アンサンブルの歌手として出演し、やがてエイゼンの名はソ連邦だけでなく外国でも人気者となった。1954年に最初のリサイタルに出演。エイゼンは精力的な演奏活動と同時にチャイコフスキー音楽院に学び、1955年にウラジミール・ポリトフスキー教授のソリスト課を優秀な成績で卒業した。同年、ワルシャワで開かれた第5回世界青年平和友好祭の国際コンクール声楽部門に出場、ブルガリアの著名な歌手ニコライ・ギャウロフとともに第1位を獲得した。その後、赤軍アンサンブルからボリショイ劇場のソリストに迎えられた。
 このコンクールの審査員の一人であった関鑑子の招きで、1956年12月の日本のうたごえ祭典に参加したのが、エイゼンと日本を固く結びつけた最初の機会であった。
1973年5月23日神田・共立講堂で開かれた関鑑子音楽葬に参加。1975年の日本公演を含めて、9回目の来日になる。


キリール・ビノグラードフ(ピアニスト)


 1913年生れ。キエフ音楽院を経て、モスクワ国立音楽院を卒業。
長い間、赤軍アンサンブルの主席コンサート・マスターとして活動し、1961年からボリショイ劇場のコンサート・マスター。
エイゼンの伴奏者であるとともに、エイゼンの教師であり、音楽指導者でもある。