定期演奏会の紹介

第41回定期音楽会の紹介

 5月の音楽会
 にほんのうた
 せまりくる戦争の足音の中で、ふるさとを、青春を、未来を、ノーモア・ヒロシマを、たからなにうたいあげる。
  

演奏日時 1981年5月20日(水)・21日(木)午後6時30分開演
演奏会場 森之宮青少年会館文化ホール
指   揮 守屋博之/本並美徳
ピ ア ノ 根来博子/門万沙子
吉田親家(アコーディオン)
出   演 外山雄三(特別出演 ピアノ)
関西合唱団/関西合唱団アコーディオン班/「永遠のみどり」合唱団/ログメイツ
ス タ ッ フ 一杉忠(舞台監督)

演 奏 曲  1部 プロローグ
5月のうた                (詩:森田ヤエ子 曲:荒木栄 編曲:外山雄三)

わが大地のうた             (詩:笠木透 曲:田口正和 編曲:赤堀文雄)
夜明けはもうすぐ見えてくる      (詩・曲:石原いつき 編曲:青山義久)
たんぽぽ                 (詩:門倉訣 曲:堀越浄 編曲:西良三郎)



八木節                   (群馬民謡)
五木の子守唄              (熊本民謡)

         【関西合唱団アコーディオン班/吉田親家(指揮)】

郷土のうたと踊り
豊年だいこ                 (石川民謡)
さんさおどり                (岩手民謡)

日本抒情曲集より             (編曲:林光)
 早春賦                  (詩:吉丸一昌 曲:中田章)
 お菓子と娘                (詩:西条八十 曲:橋本国彦)
 浜辺のうた                (詩:林古渓 曲:成田為三)

ピアノ・電子オルガンと女声合唱のための
 合唱組曲「マリちゃんの歩いた夢」 (詩:佐藤真理 曲:中田喜直)

芝浦                     (詩:河野さくら 曲:原太郎)
マンコロの歌               (詩・曲:三浦朗生)
灼けつく渇きで               (詩:金芝河 原訳:井出愚樹 補作:小田健也 曲:安達元彦)
告別                     (原詩:エドウィン・カストロ 曲:林光)
芦別の雪の中を             (詩:門倉訣 曲:林学)
「ひかりのバラード」より 警鐘     (詩:奥田史郎 曲:松永勇次)

        2部                 と わ
混声合唱のための組曲
「永遠のみどり」     (曲:外山雄三)
  1.ひとつの夏                      (詩:下畠準三)
  2.はがゆい                       (詩:正田篠枝)
  3.終末                          (詩:栗原貞子)
  4.燈籠ながし                       (詩:小園愛子)
  5.ヒロシマというとき                  (詩:栗原貞子)
  6.永遠のみどり                     (詩:原民喜)

         【外山雄三(特別出演 ピアノ)関西合唱団/「永遠のみどり」合唱団/守屋博之(指揮)】

チラシ(表)

ごあいさつ

プログラムより
 本日はお忙しい中、ようこそおいで下さいました。私たち関西合唱団への日頃のあたたかいご支援・ご協力に対し、ここに厚くお礼申し上げます。
 41回を迎えました今日の定期音楽会は、平和と民主主義や生活を脅かす動きが日々強まっている中で「日本のうた」をテーマに自然を愛しよりよい社会を願う人びとのこころを多彩にうたいあげるものです。
 とりわけ組曲「永遠のみどり」の初演は、大きな期待を浴びる中での演奏だけにその責任は非常に重いものがありますが、33年の運動で蓄積してきた力の上に平和を守る決意をこめ、みなさんにお贈りしたいと思います。同時に、このような新らたな試練の場を与えて下さった外山先生に心から感謝の意を表するものです。
 どうか、今日の演奏会をさいごまでごゆっくりたのしんでいただき、関西合唱団と大阪のうたごえの前進へ積極的なご批判を下さるようおねがいいたします。
1981年5月20日 【関西合唱団団長 西恒人】

メッセージ

プログラムより
組曲「永遠のみどり」初演にあたり

 外山雄三さんが関西合唱団の今日の音楽会のために、組曲「永遠のみどり」を作曲して下さいました。「日本原爆詩集」から選んだ四編と、栗原貞子さんの詩集「ヒロシマというとき」からの二編に曲をつけたものですが、これまで「炎の歌」など「原爆」「戦争」をテーマに作曲し続けてきた外山さんに、いまなぜ「永遠のみどり」なのかを聞いてみました。

外山雄三さんに聞く

 ●詩を読むと、たとえば「ヒロシマというとき」のように、単に原爆のことだけでなく、南京虐殺などもっと広がりを持っているように思います。

加害者としての意識を

 われわれの世代は戦争中子どもだったので、被害者意識が非常に強いわけです。でも、被害者であると同時に加害者ではないかという疑いはいつでも持っていたいし、持っていなければならないのではないかと思っています。それは「ヒロシマというとき」を読めばわかることですが、加害者としての痛みというか、恥ずかしさをどう音楽的に表現するか、むつかしいところです」

 ●外山さんはこれまでこうした問題に一貫して取り組まれているわけですが。

人間として大切なこと

 「別にわき目もふらず戦争とか原爆をテーマに仕事をしているわけではありません。僕は仕事をするとき、そのたびにいま一番いいたいこと、一番怒っていることはなにかと真剣に探すんです。すると残念ながら、まだ原爆のこと、戦争のことが、もういいだろう、そろそろ別のことをというふうにはならないんですね。戦争はいやだ、戦争はどんなに恐ろしいものかいわなければならないわけです。たとえば最近の原潜あて逃げ事件のとき、被害にあった乗組員はみんな「自分たちを人間だと思っていないのではないか」といっていた。ということは、あのときたまたま人間扱いしなかったのではなくて、軍隊というものは、行動中は軍人以外は人間扱いしないということを、僕ら戦争中実感として知っていたわけです。この事件は安保の問題と深くかかわっていますが、安保と人間扱いしないという二つのことだけを考えても、あの事件は大変なことで、どうしてくれるのかともっと声を出してもいいのに、そういうふうにはならないですね。それが非常に恐ろしいと思うわけです。」

 ●たしかにいまの反動攻勢のなかで、そういうことがいいにくくなっている面があります。

右翼的文化人の発言

 「でも、肯定的にみればそうでもないのではないでしょうか。たとえば、この10月、山田洋次、朝間義隆監督とオペラを作るのですが、僕らが一切注文しないのに『語り継ぐ戦争体験』を素材として取りあげてくださることになったんです。ストレートに戦争はいやだということを出したいというわけです。
 ご存知のように山田監督も“告発ものはいやだ”とおっしゃってる。だから単純な告発としてでなく、なんの予備知識もない人にもすんなりとみてもらえるものにしたいと思っています。ですからいまそういうことが言いにくくなっていると悲愴に考えなくてもいいのではないかと思います」

 ●音楽分野でも黛敏郎さんなんかがテレビを使って改憲キャンペーンをやっているはど、右翼的文化人の発言がもちあげられているということがあると思います。

いい続けなければと……

 「非常に華やかに見える部分ではそうかもしれませんが、たとえば若い人に戦争に行くかと問えば、だれが行くもんかと圧倒的部分が反応しますね。だから、僕がいつも考えることを待殊な言葉で、特殊な方法でいいたくない。なるべく普通の言葉・音楽上でも戦争のむなしさを表現するのに非常に前衛的手法を代うこともありますし、それが必要なこともあります。でも僕がやるのはそれではないような気がします。普段は演奏会に来ないような人でも、ああわかった、私たちが言いたいことを少しは言ってくれているようだ……と思ってもらえればいいと思っています。
 戦争体験世代の端っこに連なる者のひとりとして、戦争に一方的な被害者や一方的な加害者はありえないと思う。今、何が起っているのか知ろうとしないことは、加害者に加担する行為ではないだろうか。みなさん、そんなに無関心でいていいんですか」