定期演奏会の紹介

第68回定期演奏会の資料集

 関西合唱団の誇る学習部の資料「かわら版」より、掲載記事の一部を転載して作成しています。

響け世界へ 原爆組曲「永遠のみどり」 
外山雄三さん作曲 20日に大阪で初演
関西合唱団第41回定期演奏会で「永遠のみどり」を初演したときの朝日新聞の記事(1981年5月1日)を紹介します。

 原爆をテーマにした詩に作曲家の外山雄三さん(49)が曲をつけた組曲「永遠(とわ)のみどり」ができ上がり、初演を間近にひかえて三十日夜、大阪市城東区鴫野西五丁目の関西合唱団練習場で、同合唱団とピアノで伴奏する外山さんが音合わせをした。組曲は被爆者への鎮魂と、核廃絶への願いを静かに、そして力強く歌い上げる。本番は二十、二十一の両日、大阪市の森の宮青少年会館文化ホールで。
 外山さんは東京音楽学校(現在の東東芸大)を出てまもなく、書店で一冊の本に出あった。広島一中(現・県立国泰寺高校)の生徒の父母たちが、原爆で亡くなった子どもたちへの追悼の思いを書きつづった文集「星は見ている」だった。劫火(ごうか)に焼かれて死んでいった同世代の少年たちのことが胸に焼きついた。十一年前、原爆をテーマに交響曲「炎の歌」を書いたが、その直後に「日本原爆詩集」が出版されたため、これをもとに組曲をつくろうとの構想が浮かんだ。一度、ある合唱団から「作曲ができたら歌わせてほしい」と頼まれたが、組曲に入れる詩の中に天皇に対して「すもうや野球をごらんになるばかりでなく世界中へ平和を愛し生命を大切にすることの日本の信念の宣言をしてくださればよいのに」と呼びかける内容があったためか、結局お流れとなった。しかし、その合唱団にいた人から関西合唱団の指揮者守屋博之さんが去年夏、外山さんの試みを聞き、「ぜひ、こちらで」と申し入れた。外山さんは組曲をここ四ヵ月で一気に仕上げた。組曲のうち四編は「日本原爆詩集」から、残り二編は栗原貞子さんの詩集「ヒロシマというとき」から選んだ。混声四部で、美しい旋律をこわさず、深刻な中身をどう表現するかに苦心したという。外山さんは「戦争体験世代の端っこに連なる者のひとりとして、戦争に一方的な被害者や一方的な加害者はありえないと思う。今、何が起こっているのか知ろうとしないことは、加害者に加担する行為ではないだろうか。みなさん、そんなに無関心でいていいんですか、との問いを投げかけたつもりです」といっている。

讃歌・この星に
  奈良蟻の会合唱団の作詞者 I さんより曲の解説を頂きました。

 奈良蟻の会合唱団創立50周年を記念して、団で取り組んだ創作活動の中から生まれた曲の一つです。うたごえ運動の3つの柱を、1番「うたごえは生きる力」、2番「うたは闘いとともに」。3番「うたごえは平和の力」と、私たちなりに表現し、団創立メンバーのお一人である木下そんきさんに作曲していただきました。地球は生命の星といわれるように、この星にはいのちが満ちあふれています。宇宙の始まり、銀河の誕生、太陽系の成立、そして地球が水と空気でおおわれた星になり、そこに最初のいのちが誕生し、進化を遂げてさまざまないのちが現れる・・・…気が遠くなるような長い長い時間をかけ、必然と偶然を重ねて、いまのこの地球とそこに住むいのちの姿一すべてのいのちがつながり合う、一つの生命体としての地球ができあがりました。その歴史は、すべてのいのちに(例えば、DNAの構造と配列に)刻み込まれているといいます。すべてのいのちがこの星に存在するよろこびをうたい交わす、そんな姿であったはずの地球。しかし、そのいのちの一つに過ぎない私たち人間が他の多くのいのちを脅かし、ついには自らの生存さえ危うくするにいたってしまいました(核兵器開発・環境間題など)。いま、多くのいのちは悲鳴を上げながらも、懸命に生き続けようとしています。地球の住人の一人として、すべてのいのちと共存していくためにはどう生きればいいのか、すべてのいのちが私たちに問いかけています。

 一「脅かされても とまることなく 明日へと進む生きゆく力 いま わたしたちに」

 私たちは、一人一人がかけがえのない存在であるとともに、決して一人ではなく、多くの人とのつながりの中で、支えられ支え合って生きています。家族、地域の人々、職揚の仲間、民族や宗教や国境を越えて思いを同じくする仲間。しかし、そうした仲間の思いを押しつぶし、仲間のつながりを断ち切ろうとする存在や力があります。それに屈することなく、人間としての誇りを胸に、それを護るために闘い、すべての人々と、同じ人間として、人間らしく生きることのよろこびを高らかにうたい合うことができればどんなにすばらしいことでしょう。

 一「踏みにじられても 打ち砕かれぬ 誇りを胸に 闘う力 いま わたしたちに」

 この星の上に人類が登場したのが400万年前、人類の歴史において戦争が始まったのは1万年前といわれます。戦争が人類と切っても切れない必要悪などではないことは明らかです。しかも、人類の歴史を400mの陸上トラックに例えれば、戦争の始まりはゴール(現在)直前のたった1mのこと、核兵器の開発。使用はわずか5oのことに過ぎません。戦争が人類を滅ぼしかねないものになってしまった20世紀の経験をふまえ、人類は戦争を起こすまいとさまざまな試みを始めました。戦争をなくし、平和な未来を築くには、まず、私たち一人一人が心に過去を刻み、平和への思いを燃やし続けること、そして、その思いを結び合うことです。

 一「風吹きすさんでも 決して消えない 平和の灯火 いま わたしたちは 燃やし続ける」

「早春」について
作曲された高平つぐゆきさんにお聞きしました。
電話でお聞きした聞き取りなので、十分に書けきれていないかもしれませんが、要旨を汲み取ってください。【学習部 アルト Y】

 時期は1970年代の後半だった。自分が働いていた電々公杜(今のNTT)の職場で『橋のない川』の上映をしようと取り組んでいた。ばっこ当時暴力集団トロキストの連中が職場を跋扈していて、上演をめぐって対立がおきた。私も上映運動に参加していて、当日会場の入り口で防衛の任務を引き受けた。その取組みから職場で差別が始まった。75年には激しいものとなり、トイレの壁に「殺すぞ」と書かれたり、職場では「あいつとは口を利くな」となっていて、誰も口を利いてはくれず、職場に行くのが”針のむしろ”の毎日だった。そんな中だったが頑張って仲聞と共に闘い続けた。このことを歌にしようと思った。作詞を滝いく子さんにお願いしに行った。滝さんに職場のことを色々お話した。こんな激しい差別の中だったが、エレベーターで2人きりになった時に励ましの言葉をかけてくれる人があった。また声をかけてはくれなかったが「がんばれよ」という目配せをしてくれる人もあった。その人達のことを話した時、おもわず滝さんの前で涙がこぽれてしまった。
 この曲の歌詞は、差別とか、闘いとかそんなことは直接的には書いていない。しかし、影で励ましてくれる仲間のことを思い、今すぐこの状態は変わらないが、変わってほしいという思いを込めてつくった。作曲は宿直の夜、仮眠の時間にした。そんな思いを最後の舳AHーの部分に込めた。宿直だったので夜が明けてくる。それがこの曲の最初の部分のイメージとなった。

If I got my ticket, can I ride?
(わたしに切符があれば)
Lawd,if I got my ticket,
can I ride?
Ride away to the heaven that momin'?
Hear a big talk of the Judgment Day,
You got no time to projick away!
Away by and by without a doubt!
Jehovah wi11 order his train about,
CIean out the world and leave no sin,
Tell me,please,where have you been?
Lawd,if I got my ticket,
can I ride?
Ride away to the heaven that mornin'?
Hear a big talk of the Gospel Train,
you wanna get on it?
Yeah,that's my aim!
Stand at the station and patiently wait,
The train is commin'
and it's nevel late!
So long comin' that it
worried my mind
I thought it was late,
but was just on time,
Lawd,if I got my ticket,
can I ride?
Ride away to the heaven that mornin'?
Lawd,if I got my ticket,
can I ride?
Ride away to the heaven that mornin'?
主よ、わたしに切符があれば
乗れるでしょうか
その朝天国に行けるでしょうか
裁きの日のうわさが聞こえてくる
ぐずぐず考えてなどいられない
もちろんのこと!
エホバはその列車を用意されるでしょう
この世を清め、罪を残さないように
教えてください、どこにおられたのですか?
主よ、わたしに切符があれば
乗れるでしょうか
その朝天国に行けるでしょうか
天国行きの列車のうわさが聞こえてくる
あなたは乗りたいのか?
そう、わたしは乗りたい
駅に立って、じっと待つのだ
列車はきっとやってくる
けっして遅れることはない
なかなかやってこないので
わたしは心配になり
遅れているのかと思ったが
時間通りだったのだ
主よ、わたしに切符があれば
乗れるでしょうか
その朝天国へ行けるでしょうか
主よ、わたしに切符があれば
乗れるでしょうか
その朝天国へ行けるでしょうか

Swing low, sweet chariot
(ゆったりと揺れよ,懐かしの車よ)
 旧約聖書の「列王記」下の第2章では,エリシャと預言者エリアがヨルダン河のほとりで語りあっている。そこへ天から火の車が火の馬にひかれて現れ,エリシャの目の前でエリアはこの火の車で天国へ上って行く。宗教的に考えれば,この車は神の力で天使たちに導かれて天国へ凱旋する火の車のことで,この歌を歌う人を天国へ誘う,あの偉大な車を意味している。当時の,多くの奴隷たちにとって,神の与え給うこの自由は現世でも有効に働き,彼らを奴隷制度から解放し,アフリカの祖国へ連れ戻しでくれるか,それとも,アメリカの北部やカナダにある自由の国へと運んでくれることを意味した。
 現実にはヴァージニア州に多くあったたばこ農場の,たばこの葉を運ぶぼろぼろの車が,歌に歌われている「火の戦車」である。この車はプランテイションの中,山のように積んだたばこの葉を,馬や牛にひかれて乾燥場へ運んだ。積み荷の重みで,ギーッコ,ギーッコとゆっくり揺れた。だから奴隷たちは「ゆったりと揺れよ」と歌った。ときに,このたばこの葉の中に逃亡奴隷が隠れていることもあり,それを知らされた奴隷たちは,応答形式で歌われる御者のリードに答えて,全員がコーラスの部分を決別の意味を込めて,"Coming for to carry me home"(天国へ連れ戻すためにやって来るよ)と歌ったという。
  Swing low, sweet chariot,
  Coming for to carry me home,
  Swing low, sweet chariot,
  Coming for to carry me home.

1. I looked over Jordan, and what did I see,
  Coming for to carry me home ?
  A band of angels coming after me,
  Coming for to carry me home.

2. If you get there before I do,
 Coming for to carry me home,
  Tell all my friends I'm coming too,
  Coming for to carry me home.

3. The brightest day that ever I saw,
  Coming for to carry me home,
  When Jesus wash'd my sins away,
  Coming for to carry me home.

4. I'm sometimes up and sometimes down,
 Coming for to carry me home,
  But still my soul feels heavenly bound,
  Coming for to carry me home.
  ゆったりと揺れよ,懐かしの車よ,
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。
  ギーッコと低く揺れよ,懐かしの車よ,
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。

1 .はるかヨルダンの彼方に見えるのは何か
  ,私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ,
  あれは天使たちの一団ではないか。
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ

,2 .私より先にあなたが天国へついたら,
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ,
  私もすぐやってくるとみんなに言っておくれ。
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。

3 .私がはじめて知ったすばらしい日よ,
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。
  エス様が私の罪を洗い流された日よ。
  私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。

4 .私の心はときに希望に満ち,ときに悲嘆にくれる
  ,私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。
  でも私の魂はいつも天国へ向かって行くよ
  ,私を天国へ連れ戻すためにやってくるよ。

When the Saints go marching in
(聖者が街にやって来た)
Oh, when the saints go march-in' in
Oh, Lord, I want to be in that number
Oh, when the new world is rivaled
Halleluja brothers, Halleluja sisters
Hear the music going round and a round
while the saints go marching up in to Glory
Oh, hear those angel trumpets sound
And when the sun no more will shine
when the moon has turned to blood

聖者たちが行進して来るとき
神よ、私もその列に加わりたい
(私をその列に加えたまえ)
新しい世界が現れた時
ハレルヤ 兄弟よ ハレルヤ 姉妹よ
この音楽が鳴り響きわたるのを聞け
聖者が栄光へと行進していくあいだ
天使達のトランペットの響きを聞け
そして、たとえ太陽がもう輝かない日が来ても
月が血へと変わろうとも

Amen
 ソロの詩はイエス・キリストの生涯を(しかも「イエス」という名は一度も出さずに)歌っています。その内容について「Amen!(その通り!)(わたしもそのように信じます!)」とコーラスは返事をするので、語られていることのイメージをお伝えできれば「Amen」の音色が変わってくるかなあ、と思いやってみます。

The baby wrapped in a manger on Christmas mornin'
 イエス・キリストは神の子です。ところが彼は立派なお城ではなく、ベツレヘムの馬小屋で生まれ、飼葉桶(馬のエサ入れ)に寝かされました。「♪Oh, little town of Bethlehem, how still we see thee lie・・」というクリスマスソングは有名ですよね?これが世界で最初のクリスマスです。
 すべての人が敵から救い出され、全ての人の罪が許されるためキリストが生まれた!これこそが「good news = gospel(ゴスペル)」なんです。

In the temple He was talkin' with elders who marvelled at His wisdom
 12歳のイエス様がエルサレムの神殿で律法学者たちと議論しあまりに賢かったので驚かれました。

John was baptizin' Him at the Jordan and He was savin' all sinners
 ヨルダン川(Jordan)で、バプテスマのヨハネ(John;あのサロメに首を取られたヨハネです!)からイエス様が洗礼(バプテスマ=baptizin)を受けたとき、天から「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」という声が聞こえました。洗礼とは、罪が許され、新しい生命へよみがえる、天国への切符を手に入れる儀式です。

At the seaside He was talkin' to the fishermen and makin' them disciples
 30歳で伝道を始めたイエス様はお金持ちや権力者ではなく、貧しい者、病める者の友になりました。足掛けたった3年の伝道生活でした。外国に行ったこともなく(小さいとき、幼児を殺そうとしたヘロデ王を逃れるために両親に連れられてエジプトへ行ったことはありましたが)、小さなグループに伝道しただけですが、そのイエス様がこのわたしにも呼びかけてくださったのです、「あなたもわたしについておいで」と。
 漁師シモンの場合。後に彼はペトロと呼ばれました。一晩中一匹もとれなかったのに、イエス様に言われてもう一度網を投げると2艘の船が沈みそうになるくらいの大漁!「私についてきなさい。人をとる漁師にしてあげよう」とイエス様に言われて弟子になりました。
 レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という絵を思い出してください。あそこに登場する人物の一人です。

Marchin' in Jerusalem over palm branches in pomp and splendor
 イエス様が小さいロバ(闘いを象徴する馬ではなく、平和と愛を意図してロバ)に乗ってエルサレムに入城。たくさんの人が歓声をあげて(きっと「Hallelujah!;神様に栄光がありますように!」ってセリフを言う人もいたのでは?)道に自分の服や棕櫚の葉をしいて迎えました。

In the garden He was prayin' to His Father in deepest sorrow
 弟子に裏切られ十字架につけられて死ななければならないことを知っていたイエス様は「悲しくて死にそうだ」とゲッセマネの園で神様に祈りました。逃げることもできたのに、留まり祈り続けました。

He was led before Pilate.
 ローマの総督ピラトの裁判を受けました。ピラトもイエス様の罪を見つけられなかったのですが群集は「イエスを十字架につけろ」と騒ぎ立てました。
They crucified Him
 ゴルゴタの丘(されこうべの土地の意)で、いばらの冠をかぶせられ釘で手足を貫かれ十字架にかけられました。罪状を書く札には「ユダヤ人の王」と書かれていました。イエス様が「父よ、私の魂を御手にゆだねます」と叫んで息をひきとったとき、神殿の幕が真っ二つに裂け地は揺れ岩が割れ墓が開きました。
But he rose on Easter
 イエス様は十字架の死から三日後によみがえり、弟子たちの前に現れました。クリスチャンにとってとっても大切なできごとで、今もイースター(Easter;きれいなイースターエッグを見たことのある方も多いのでは?)として祝います。

Halleluyah, He died to save us and He lives forever.
 彼は私たちの罪を許すために十字架で死に、よみがえられ、そして今もこれからも永遠に生き続けます。


ちなみに・・『Swing Low・・』の最後の方ですが・・
「How I want to be in that number」は、聖者の行列に加わる=あなたのそばで永遠の平安を手に入れる → 「どれほど私はその仲間に入れてもらいたいか!」って感じだと思います。

ちなみに・・Part2.歌詞に出てくる『Christ』ですが・・
 ギリシャ語でメシヤ(=救い主)は「クリストス」。英語では「Christ」日本語の「キリスト」です。

資料提供【ゴスペル団員 ソプラノ O】
Amen, Amen, Amen, Amen, Amen, sing it over,
See the baby, Amen,
Wrapped in a manger, Amen,
On Christmas mornin', Amen, Amen, Amen.
See Him in the temple, Amen,Talkin' with elders, Amen,
Who marvelled at His wisdom, Amen, Amen, Amen.
See Him at the Jordan, Amen,
Where John was baptizin',
And savin' all sinners. Amen, Amen, Amen.
See Him at the seaside, Amen,
Talkin' to the fishermen, Amen,
And makin' them disciples, Amen, Amen, Amen.
Marchin' in Jerusalem, Amen,
Over palm branches, Amen,
In pomp and splendor, Amen, Amen, Amen.
See Him in the garden. Amen,
Prayin' to His Father, Amen,
In deepest sorrow, Amen, Amen, Amen.
Led before Pilate, Amen,
They crucified Him, Amen,
But he rose on Easter, Amen, Amen, Amen.
Hallelujah, Amen,
He died to save us. Amen,
And He lives forever, Amen, Amen, Amen.
アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン(繰り返し歌おう)
赤子を見よ、アーメン
かいば桶の中で包まれて、アーメン
クリスマスの朝、アーメン、アーメン、アーメン
神殿に現れ、アーメン
年長者と話し、アーメン
賢さで驚かせた、アーメン、アーメン、アーメン
ヨルダン河に現れ、アーメン
ヨハネから洗礼を受け、アーメン
多くの罪人らを救いたもう、アーメン、アーメン、アーメン
湖のほとりで、アーメン
漁師に話しかけ、アーメン
彼らを弟子になさる、アーメン、アーメン、アーメン
エルサレムに入城、アーメン
棕櫚の枝の上を歩まれ、アーメン
威風堂々、アーメン、アーメン、アーメン
(ゲッセマネの)園では、アーメン
父なる神に祈られる、アーメン
深い悲しみの中、アーメン、アーメン、アーメン
ピラトの前に連れ出され、アーメン
十字架につけられる、アーメン
でも、イースターによみがえられる、アー-メン、アーメン、アーメン
ハレルヤ、アーメン
私たちを救うために死なれ、アーメン
でも、とこしえに生きておられる、アーメン、アーメン、アーメン