機関紙「くれっせんど」より

2007年11月 735号〜739号       バックナンバー  現在

2007.11.29
No.0739
合唱発表(11/25日)で金賞受賞!!
みんなの力でもらったよ!
 11月25日(日)古都奈良で開催された日本のうたごえ祭典!その最終日合唱発表一般の部Bにおいて、私たちの演奏が金賞の評価をいただきました。発声がまとまらなかったり、縦の線があわなかったりで今年は難しいんとちゃうか、とかいろいろありましたけど曲の内容を深める話や紙面での交流、また、いろんな人の力に支えられながらも創作曲を生み出し普及してきた自分たちの思いを届けたいという意思の統一、集中力が良い結果に結びついたのだと確信し喜び合いたいと思います。それと、少人数の男性陣に参加していただいた特別団員の方にも感謝の拍手を送りたいです。(結果詳細は別掲)
 さて、いよいよ12月に突入します。ほんとに1年てあっというまでいやになりますが、「また年とるんやなあ」てなことを言っても始まらない。
 これからステップコンサート、団総会、うたごえ60周年定期演奏会、大阪のうたごえ全体の取り組みにむけていろいろと準備をしていかなければなりません。みんなで力をあわせればなんとかなるし、それ以外にうまくいく方法も考えられません。年末年始から年度末は公私共に忙しくなりますが。「あなたがいないと始まらない」を合言葉にやっていきましょう。よろしくお願いします。【副団長 バス1 T】

2007.11.29
No.0739
日うたこぼれ話
・・・アルト1のOさんが集めてくれました。ありがとうございます。
●エピソード1.聞いた中では「比較的青年隊」がよかった。ビブラートのない透明感のある声で、聞いていて気持ちよかったです。若々しく自然な声でよかった!(Kさん、Tさん)[銅賞受賞]

●エピソード2.山田荘小学校の「ねがい」特に自分たちで作った歌詞を一生懸命うたっていて、胸に響きました。前にすわっていた年配の女の方、青いハンカチを目にあてて泣いていました。[激励賞受賞]

●エピソード3.ソプラノ2のMさん、タンブリンと鈴で全国デビューです。「全国合同の鈴は、実は毎回違うリズムでした。リハのたびごとに、こうしようと思って変わっていきました。職場合同のタンブリン、曲の終わりにタンブリンを上げた時に拍手がきました。うれしかったです。」

●エピソード4.郡山駅からタクシーに乗ったTさんとMさん。運転手さんは40代の明るい女の人。話がはずんで突然「このCD持ってるよ!」と見せてくれたのが、なんと関西合唱団の定演CD!!前のお客さんからゆずってもらったそうです。いったい誰か??

●エピソード5.そう、みなさんおわかりですね。われらがYさんでした!やはりタクシーに乗ったとき、運転手さんがコーラスをやっていたことがわかって、すっかり親しくなったそうです。会場についた時にCDを見せたら、「好きな曲が入っている。これほしいワ。」と喜んでくれたそう。郡山市で客待ちの時にわが団のCDをかけている運転手さん、本当にありがとう!あなたが聞いている「いのちをつなぐ人たちのうた」制作にいのちを削って頑張ってくれたのがYさんですよ。

●エピソード6.日うた祭典が終わり、電車にゆられている時のこと。Tさんが、「あれ見て、見て!」と声を上げました。指さす方にはビルの間から大きなお月様が。わぁ、スゴイ、と一同感心して見ていたら、Mさんぼそっと「たこ焼き色やねぇ・・・」おなかがすいていたそうです。

2007.11.29
No.0739
2007年全国合唱発表会入賞団体一覧
(一般の部A)
金賞 男声合唱団「純」
    高知センター合唱団
    山形センター合唱団
    コール大東
銀賞 仙台合唱団
    岡山合唱団
    合唱団ふきのとう
    九州青年合唱団
    コール東海
    阪神センター合唱団
銅賞 大分混声合唱団クールエスポワール
    神奈川合唱団
    紫陽花合唱団
    秋田合唱団
激励賞 ナイスミディ&ゲンキーズ

(職場の部)
金賞 D51合唱団
    神戸市役所センター合唱団
銀賞 全国電通労働者合唱団ザ・ナッツ
    国鉄大阪合唱団号笛
    国鉄東京合唱団
銅賞 国鉄広島ナッパーズ
    三多摩教職員合唱団
    東部保母合同
フレッシュ賞 福山秋の虫たち合唱隊
努力賞 保育のうたごえあいち合同
激励賞 トヨタ車体労働者うたう会
審査委員会賞 新日鉄八幡うたう会
          合唱団なかま

(小編成の部)
金賞 電通名古屋合唱団
    ヴォーカルアンサンブルAVANTI
銀賞 関西合唱団ポマト班
    OH!ジーンズ
    女声コーラス炎
銅賞 おじさんズ
    飛騨うたごえサークル やまびこ
    東京合唱団ぴゅあ2
    おじょーズ
激励賞 うたごえサークル九官鳥
     そよ風シンガーズ

(一般の部B)
金賞 関西合唱団
    埼玉合唱団
銀賞 名古屋青年合唱団
    三多摩青年合唱団
    男声合唱団昴
    長野合唱団
銅賞 交野うたう会
    奈良蟻の会合唱団
    比較的青年隊
    絹の道合唱団
    豊川親子合唱団たけのこ
    2008合唱劇「カネト」をうたう合唱団
激励賞 山田荘小学校「ねがい」を歌う合唱団

(女性の部)
金賞 レガーテ
    ブリランテ・パルテ
銀賞 女声コーラスこぶし
    新婦人コーラス花の輪
    女性のうたごえコスモス
銅賞 生駒コーラス樫
    新婦人中央支部コーラス エーデルワイス
    新婦人中央支部うたごえサークルルンルン
審査委員会特別賞 合唱団いきしあ
             女声合唱団アンダンテ

2007.11.29
No.0739
要員をしたよ!
 うたごえ祭典の要員を初めてしました。ドア係をしました。奈良はうたごえ人口が少ないので手伝ってくださいと去年、おっしゃっていたので、やりたいと思っていたのです。職場の部、いかるがホールはドアが重たく、ずっと立ちっぱなしだったので、足が棒のようになりました。奈良以外の要員が多かったです。3日目の一般Bの郡山城ホールは、団体がどっとはいったりでたり、大きな荷物を場内に持ちこんだり、演奏が始まっても席を捜している人に注意を呼びかけたりと忙しかったです。新日鉄八幡の人が手伝ってくださいました。その人は、演奏を聴く事ができず申し訳なかったです。
 合発の後、5時までに撤収が終了しないとだめなのに人が数人しかおらず、衛都連のソプラノKさんといっしょに残りのかたづけをしました。
 演奏はあまり聴く事はできませんでしたが、いろんな地域の方とお話ができよかったです。 この3日間、家のことは(掃除、洗濯、ご飯作り)全部家族がしてくれました。本当に感謝です。【アルト1 Y】

2007.11.22
No.0738
コルチャック先生が願っていたこと
 昨年の夏から秋にかけて、中高生のいじめ等を原因とした自殺が相次いだ。いま歌うべきものは何か・・・考えているときに、奈良の人たちの祭典の企画と一致したのが「ボクたちのさがしもの」だった。
 その後、教育基本法が改悪され、教育再生会議が設けられた。すべての子どもに規範意識や公共心を身につけさせるという。犯罪を防止し安心できる社会を運営するルールを学ぶというのではない!徳育を施すというのだ。「良い心」を持った「いい子」を国や社会が総がかりで子どもに求める。これは健全な社会といえるだろうか。
 高齢者の認知症が増えている。先日、認知症の学習会に出席した際に、認知症介護をしている家族は、最初はその異常な行動にとまどい、どう対応してよいかわからず混乱する、しかし、大事なことは、認知症である家族のあるがままを受け入れ、病気を見るのではなくその人の人格を理解すること、つまり「受容」することだということを教えていただいた。認知症の家族が安心できるような環境、人間関係をつくれるように寄り添うことの大切さを話された。聞いていて、子どもの権利条約が求めている、大人と子どもの関係に通じるものだと感じた。
 人間は誰も完璧ではない、弱さや未熟さ、愚かさ、ときには悪さも抱えている。いわんや子どもはそうだ。
 「ボクたちのさがしもの」第4章「あこがれを贈ろう」後半にはヤヌシュ・コルチャックの言葉が引用されている。これは、ユダヤ人の孤児のために作ったホームを15才になって卒業していく子どもに贈った言葉である。コルチャックは、このホームでの子どもの自治を重視した。子どもが自由な意志を持って自分の世界を切り開いていくことが、「よりよい未来のために、生き、働き、闘うことが最大の幸福なのだから」必要だと考えた。楽譜の最後のページには、別れの言葉の全文が掲載されているので、再読願いたいと思う。ユダヤ人の子どもの過酷な運命に思いを巡らせば、「あこがれ」の重さはいかばかりか・・・
 コルチャック自身は助かる道があったにもかかわらず、子どもたちとともに収容所行きを選んだ。しかし、コルチャックの心を受け継いだポーランドの人々の努力で、子どもの権利条約は国連で採択された。【テノール2 Y】

2007.11.22
No.0738
「ふるさとの星」   〜連続紙上討論「ふるさとの星」5
1節 生命をうみ出し、育てているこのみどりの地球こそわがふるさと。
2節 はかり知れない宇宙の悠久の時が流れ。しかし、人類の歴史は破壊や建設をくり返す愚かな歴史である。憎しみや喜びも終わらないまま、沈黙の大地に憩うわたしたち、このふるさとの地球はみどり。
3節 めくるめく深い紺碧の空にじっと見守られている地球。その神秘な力をじっと見つめ、私たちのあこがれの心はやむことがない。宇宙のかなたから地球を見ると、人々はせめぎ合い、あくことなく求めつづけるのみだが、そのみどりの地球こそ、わがふるさと。
「沈黙の大地」
人類が無邪気に憩うている大地(地球)は黙りこくってそれを許容している。しかし、「沈黙」とは「押し黙る、あえて黙っている」という意味を含んでいると思う。人類のあらゆる愚行(戦争や環境破壊など)に耐えて、あえて許容している地球。沈黙を守っている地球。しかし、やがて沈黙は破られる時が来る。いや、もうすでに破られつつあるのではないか・・・・。クレッシェンドでぃ、フォルテシモで強調することに、これからの背景を感じ、また聴く人にも感じさせられたら良いと思う。
「あこがれ、あこがれやまぬ・・・」
「ボクたちのさがしもの」第4章「あこがれを贈ろう」で私は目を見開かされた思いがした。「あこがれ」を「」へのあこがれと平板に理解することなく、この詩のような理解があると思う。「生きる意味」をテーマとする詩の中で、神でもなく、祖国でもなく、愛でもなく、たったひとつだけ大人から子供たちに贈ることのできるものが「あこがれ」であるという。そして、この部分のメロディーも和音も格別に美しいことから、作曲者の深い共感もわかる。【アルト1 B】

2007.11.22
No.0738
ステップコンサートニュース(2/10日)大阪歴史博物館4F講堂
1.実行委員会体制
   実行委員長 Iさん
   副実行委員長 Kさん
   事務局 Uさん
   財政 Kさん
2.会場
   大阪歴史博物館4階講堂(278名)
   2月10日(日)PM2:00から
   PM5:00には会場をすべて空ける
3.企画内容
   研究生 5曲予定
   演奏教育部会で一部決定
   団演奏曲「聖者が町にやってくる」「負けないで」
   団研合同演奏曲「花を贈ろう」
   練習 12月3日(月)より毎週月曜日団研合同
   2月3日(日)午後より合同通し練習
4.チケット組織
   組織目標 370人
   チケット種別 大人 学生・障害者・70歳以上 18歳未満

2007.11.15
No.0737
第7回城東診療所デイケアうたう会(10/31水)
 10月31日(水)第7回城東診療所うたう会に行ってきました。参加者は、市成さんとレインボーコーラスのIさん、そしてB班のソプラノ2のA・アルト1のYさん・ソプラノ2のIさん・アルト2のMさん・アルト1のKさん・アルト2のWさんです。今回は、歌い手がいつもより多くおりました。利用者さんも司会のYさんと息があっていて、おもしろかったですよ。班演奏の「たんぽぽ」は29日に練習した時は、はもらなかったのですが当日は市成さんのギター伴奏でばっちり!!12月は「おくりもの」の予定。11月はこれから決めます。
 使っている歌集ですが、これから私達にあった使いやすいものを考えています。何かいいヒントがあれば教えて下さいね。【ソプラノ2 A】

2007.11.15
No.0737
ナースウェーブ集会について(11/10土)クレオ大阪南
 11月10日(土)クレオ大阪南にてナースウェーブ集会が行われ、そこで「いのちをつなぐ人たちのうた」より第1章・4章・6章・7章を歌った。
 指揮者 バス1のTさん、伴奏者 小野寺さん、歌い手 特団3名含み27人団長の吉岡さんも一緒に歌いました。指揮・伴奏とも無理なお願いを聞いてくださり、この舞台に臨んでくださり、ありがたく思っています。
 感想をいただきましたので、掲載いたします。

●指揮者 バス1のTさん
 指揮がいかに大変かというのが良くわかりました。息子の携帯メトロノームを借りてリズムが一定になるようにちょっと練習しました。皆さんどなたでも指揮ができるようにしておきましょう!会場では客が入ると音量が落ちるのでこれからの参考にして下さい。
●伴奏者 小野寺真弓さん
 とても優しいきれいな曲でしたので伴奏していて気持ちよかったです。皆さんの歌声もそろっていて、とてもきれいでした。
●バス1のYさん
 こういうのがあちこちであったら、と思います。今日はものすごくしっとりとした味がでて、私は喜んでいます。頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

2007.11.15
No.0737
「ふるさとの星」に思う   〜連続紙上討論「ふるさとの星」4
 この歌を練習している時「アメイジンググレース」を思い出しながら歌っています。二つの曲の底に流れているテーマは同じだと思います。
 「アメイジンググレース」は人類の誕生から現在までの歴史と未来への願いというように、詩が流れるように物語的に書かれているので歌う時も物語を語っているように歌い進めばよく、誕生した人類と共に歩んでいる感じであった。したがって苦楽を共にしているようで感情も込め易かった。
 「ふるさとの星」の1番初めの2行「果てしない海原・・・よみがえりやまぬ命よ」は「アメイジンググレース」では「海に生まれ」「幾千万の命流れて」と表現が「誕生」と「死」で表されているが同じことを言っていると思います。
 「ふるさとの星」の2番初めの2行「故しらぬ・・・くりかえしやまぬ歴史よ」は「アメイジンググレース」では「畏れ知らぬ愚かな旅人 戦さ・・・幾千万の試練超えて」と3番の4行をつかって表現しています。「畏れ知らぬ愚かな旅人」とは自分自身でもあるように思えてこの後の歌詞に思いが込めやすく、のびやかに歌えました。
 「ふるさとの星」の後2行「荒野にも、・・・蝶をいざなう」は「アメイジンググレース」では「恵み深き緑の大地」という部分に当たると思います。
 「ふるさとの星」の後2行「憎しみも・・・大地にいこう」は「アメイジンググレース」では「戦さ憎しみ涙・・・我ら共に立つ」という部分に当たると思います。
情緒的? 客観的?
 「アメイジンググレース」の方が情緒的な表現であり心にしみ込んで来る表現であり、自分自身の心に寄り添うように書かれていると思います。「ふるさとの星」は、見つめて書かれており知的で客観的という感じがします。
宇宙へのあこがれ
 「ふるさとの星」の3番は青空にある「めくるめく瞳」つまり目がくらむようなまばゆい太陽を見つめて宇宙に思いをはせ、それだけでなく、ある人々は知ろうとし知ってしまい、行こうとし言って来てしまい、なお行っている。宇宙へのあこがれに果てのない人類ってすばらしいと思います。
単に祈りではなく大きなエネルギー
 「アメイジンググレース」では「惑星よ(ほしよ)海よ、森よ、幾千万の生命育み救いたまえ我ら」と祈っていますが「我ら」と複数ですし「幾千万の生命」とありますから単に祈りではなく大きなエネルギーがあり、行動が出てくることが感じられます。それ故、うたごえ運動の中でもこの歌は歌われているのだろうと思います。
地球とは?
 谷川さんも「地球はみどり」という部分の中でたくさんのことを言おうとしていると思います。地球は「せめぎあう人の住む」星であるけれども、人類はここでしか生きられないのです。時の流れを逆登って思いをはせてごらんなさい。自然に抱かれてここまで来たのです。という地球に対する深い感謝や愛やいとおしさが込められていると思います。そして戦争をやめよう。貧困をなくそう。温暖化を喰い止めよう。全ての人々が助け合い穏やかに暮らせるようにしよう。などなど、皆さんが「あこがれ」ていること望んでいることを内包していると思います。私達が歌うことで人々の役に立とうとしているように、谷川さんはプロの詩人として人々の役に立とうと短い詩から深い内容を発信していると思います。
外山さんは曲で 谷川さんは詩で
 作曲者の外山さんも人々が何か行動しなければと思わせてくれる曲を、今していることをもっと頑張ろうと思わせてくれる曲を、いくつも作っておられる方ですから谷川さんの詩に外山さんの思いを重ねて下さっておられると思います。
 「空に小鳥がいなくなった日」の1曲目は「私が歌うわけは」です。手をさしのべなければならないもののために歌うという行動をするが十分役に立てない悔しさや、苛立ちを歌い自分を励ましている。
 2曲目では森や海や空が起きている状況を憂いているのに人間は感じていない。早く感じ取って行動に移してほしいという願いを託していると思います。
 3曲目では、子どもが泣いているが見つけられないといい、次に見つけたが声も立てないで泣いている、私達が泣かしたんだよ、といい、次に泣いている子どもは何を望んで泣いているかを言う、温かく包んでくれる人が欲しいという、最後の部分では、子どものために色々なことを積極的にやってやろうというふうに行動的になっている。
 これら3曲の後に持ってこられた「ふるさとの星」には、外山さんはこの曲を歌う人たちに、そして聴く人たちに、やはり宇宙へのあこがれのように人間が生きていくために必要な重要なあこがれや希望に心を合わせよう!!心を合わせて欲しいと願って作曲されたに違いないと思います。
 この曲が作曲された頃には、今のような急激な温暖化は予想されていなかったかもしれません。砂漠化が進み「みどり」が減っています。工業が重視され農業が軽視され「みどり」が減っています。山が削られ道路や家になり「みどり」が減っています。排気ガスや酸性雨で「みどり」が減っています。温暖化で「みどり」の種類が変わっています。「みどり」があってもカビ類や細菌類が北上あるいは南下し地球にはびこるようになれば「我がふるさとの星」から人間は急速に減っていくでしょう。すべての「あこがれ」のために、やはり私たちは行動を起こして行く必要があるのでしょう。無神論者の私ですが今後も我らの子孫「幾千万の生命育み救いたまえ」と祈り、歌い行動することを心にとめて「ふるさとの星」を歌いたいと思います。【アルト2 M】

2007.11.8
No.0736
南班うたごえ喫茶07’(10/27土)
−ギャラリー キットハウス(長居)にて−
 今回は、ベトナムの子ども達と、ジャングル幼稚園の絵画展の開催中に、キットハウスからお声がかかり開くことになりました。
 最初は、雨のせいもあり数人でしたが、だんだん増えて大人12人、幼稚園の子どもたちがなんと、15人も参加してくれました。
 ソプラノ1のKさん、アルト1のUさんの司会にのせられて子どもたちも大はしゃぎ。(さしがお手のものですねー)
 リクエストもどんどん出て大人も子どもも元気!元気!部屋いっぱいにうたがあふれていました。子ども達、若いお母さん、そしておじいちゃん、おばあちゃんと幅広い年齢層が集うめずらしい会になりました。
 カバさん(Uさんのダンナさん)も来てくださり、ピアノ運びから歌まで、大助かりでした。
 南班は、ベトナム戦争の時に作られた「あの人が帰ってきたら」と「夫婦のぼちぼち」を歌いアピールしました。うん、うん、とうなづきならがしっかり聴いてくれていました。
 安広真理さんの「ねがい」を覚えてもらったのですが、子ども達は早いですねー、たった1回の練習で歌詞を口ずさみ一緒に歌っていました。感心しました。
 この絵画展に尽力されたNPOの方(武さんのお知り合いでした。)も来られていて、いろいろお話を聞かせてもらい勉強になりました。
 ベトナムの作業所の子ども達が染めて織った布で作られた、色鮮やかなかわいいグッズが飛ぶように売れていました。もちろん私も買いました。
 終了後ベトナムのおいしいコーヒーにほっとひと息、子ども達から元気をもらいました。参加者は、バス1のTさん、(カバさん)、Uさん、ソプラノ2のMさん、Kさん、ソプラノ2のTでした。【ソプラノ2 T】

2007.11.8
No.0736
大阪自治労連医療部会総会で歌いました
(10/24水)午後1時20分〜グリーン会館
いのちをつなぐ人たちのうた1、4、6、7章
(演奏後の参加者の感想です)
●役になりきるためにご飯、食べなかった。(バス1のTさん、アルト1のUさん、寄り添って歌っていてよかった。)
●歌っていても、自分の事しか考えていなくて、職場にバレたら大変。
●テープを流しながら覚えた。久しぶりに歌った。邪魔にならへんかったら呼んで。
●なり前から言われていた。厳しかったけど休めた。自分の病院も行けた。7章、個人的に気持ちが高ぶり、力んだ。機会あれば歌いたい。
●みんなにしっかり伝わった。これから私たちがどれだけ歌っていくか。
●先週いわれ、毎日曲を聴いた。歌うたびに、アカン、主人(亡くなった)の介護している時の姿が浮かんできた。
●練習、疲れた。若い人多く、思ってくれたと思う。
●時期的にナースウェーブ。11月10日(土)にある。職場の人員体制厳しく、休みも保障されていない。演奏聴いて泣いている人がいた。以前、天満研修センターで歌った時、全曲聴きたいという感想があった。歌い続けていこう。
●普及委員会の名刺を作っている人もいる。
●仕事にいくのは楽しみだから。歌詞をみて反論する人もいるが、私は、待ってくれている患者さんや仲間がいる職場に行くのが楽しみだった。みんなもそう思って歌ってね。人間相手は楽しみ。それが変わると辞めていかざるをえない。
●仕事、楽しくやってきている。歌に気持ちが入ってきている。
●医療や介護の初心が生かせるよう、初演前から歌っている。演奏の場を吉岡さん・アルト2のOさんにつくってもらっている。広げる努力をしていこう。2月11日、2700人収容のホール。(音響悪い)初演なみの人数で歌えればいいね。

−ともに歌う団員の協力をたくさんいただいた演奏でした。ソプラノ2のTさんのやさしくわかりやすい司会、お疲れ様でした。指揮者の思いもよく伝わってきました。

2007.11.8
No.0736
〜連続紙上討論「ふるさとの星」2
 私は、「ふるさとの星」というこの詩に限って考えてみました。気がつくのは、1、2連の客観性を帯びた叙述に対し、3連では主体としての「われら」が前面に出てくることです。その変化に注目して、この詩を考えてみました。
 1連では、太古の昔から連綿と生命を生み出し、その営みを慈しんできた、愛に満ちた地球が描かれている。
 2連では悠久の宇宙の時の中で、生命を繰り返し歴史を重ねてきた人間の存在がうたわれている。憎しみと喜び、愚かさとけだかさを併せ持ったまま、死の懐に抱かれざるを得ない人間をも、静かに受け入れる安住の地としての地球が描かれている。
 3連では視点が変化し主体が「われら」人間になる。地上から青空、その中心にまぶしく輝く太陽を見つめ、憧れの気持ちを抱く「われら」。青空と太陽、その先には無限の宇宙が広がっている。人間は宇宙に憧れ、未知なるものを渇望する。それは未来を希求することに他ならない。輝かしい未来を切り拓きその手に握るため、人間はいまだ愚かな争いの絶えない地球から旅立っていく。
 この詩を読んで気付くことは、「わがふるさとの星、地球は緑」のフレーズに、各連ごとに異なった意味が加わってくることである。1連目で愛に満ちた星として描かれた地球は2連目では死をも優しく受け入れ遙かな時を刻んでいく。人間の歴史は地球の歴史と重なり、死を内包する尊厳を持った地球が宇宙の中に浮かんでいる。
 では、3連ではどうなっているのだろう。遠く離れた宇宙から望んだ地球は「われら」が旅立ってきた星である。いまだなお、「せめぎあう人」が「住む国」地球である。未来を希求する「われら」が残してきた地球に抱くのは、憐憫だろうか、絶望だろうか。それとも生命をつなぎ歴史を繰り返していく人間存在への信頼だろうか、愛情だろうか。あるいは警告・・・。
 もしそれら全てを包括してなお余りある感情を抱いたとしたならば、その思いはこの詩を読んでいる現在の私たちに「せめぎあう人の住む国」が「ふるさとの星」であっていいのか、という問題をつきつけているのだろう。最後の3連で、私たちは重いメッセージを受けているのだと思う。(これに曲がつけられると作曲者の意図も加わってニュアンスも変化してくるのでしょうか。いろいろお教え下さい。)【アルト1 O】

2007.11.8
No.0736
〜連続紙上討論「ふるさとの星」3
 私は、「ふるさとの星」の3番の歌詞の意味がわかりにくいのは、『省略されている言葉があるため』と考え、適当に言葉を補ってみました。(ただしあくまで、私の個人的な解釈です。)
 めくるめく青い空の〔広がった〕、瞳〔の様に清らかな地球を〕みつめて、あこがれ、あこがれやまぬ我らよ。〔地球をすてて〕月へ移り住むために航海している宇宙船より〔わが故郷を〕望む。〔ああ、なぜ〕せめぎあう人の住む故郷〔になってしまったのだろう。ああ、〕わがふるさとの星。〔あの植物で覆われていたときの、〕緑の地球〔に帰りたい。〕となりましたが、いかがでしょうか。【バス1 A】

2007.11.8
No.0736
「ねがい」の詩って? (奈良の祭典合唱団ニュースより)
 ある合唱団員の方から「ねがい」の詩について、何となくいいたいことは分かるような気もするけれど・・・とのお話がありました。詩の理解はそれぞれであっていいと思いますが、歌を仕上げていく段階で、何を言っているのかよくわからないというのでは方向性定めにくいと思いますので参考までに編集子の考えたところをお知らせしようと思います。
 「小さな川に 赤い花流そ」と静かな光景からこの歌は始まります。「岸辺に咲いた」その「赤い花」は、「名も知らぬ願い」の象徴として描かれています。その「願い」が、2番は「もうひとつの願い」と出合い、3番では「待ちつづけた」にもかかわらず、気づかれずに踏まれ、4番では「暗い水底 凍える 夜に 蒼ざめ沈む」というのです。それは、「赤い花」が、苦難というか困難に打ちのめされていることを表しているように思います。「赤い花」が流れていく川は、歴史という川なのかも知れません。歴史は大河にたとえられますが、それは一人ひとりの人間とその歩みという「小さな川」の集まりと考えることもできるでしょう。
 「名も知らぬ願い」、「待ちつづけた願い」というのは、名もない人々の、一つ一つはささやかな、それでいて切実な「願い」を意味しているのでしょうか。その「願い」が打ちのめされているということは、その「願い」を抱いた人々が厳しい状況に置かれていることになるでしょう。
 ささやかな、それでいて切実な「願い」と書きましたが、実はわたしたちが願っていることは、ほとんどがそうではないでしょうか。でも、それを実現することは容易ではなく、時には大きな壁を越えなくてはいけない。壁の大きさに無力感を覚えることもあるでしょう。でも、そこでくじけてしまうのではなく、あるいは、何度くじけそうになっても「明日もひとつ 赤い花」を流しつづけよう、「願い」を持ち続けようと歌って、この歌は終わります。「願い」は「希望」なのかも知れません。

2007.11.1
No.0735
さあ11月!はりきってガンバロー
 さわやかになってきたなと感じたらもう11月。奈良祭典が目の前に迫ってきました。時は、立ち止まったりしないから5月の演奏会が遠い昔のようです。
 さて、秋から来年の取り組みについては、各部から連絡されていることもありますが、紙面をお借りして確認しときたいと思います。大きなところだけに留めますが、@音楽センター改修問題A班体制の見直しがあります。
 特に、@については、今の関西合唱団が経験したことのない取り組みであり、自分たちだけで解決できるものでもありません。また投げ出すことも、逃げることもできない問題です。
 年内12月15日(土)に大阪中のサークル代表者に集まってもらい会議を持ちますが、関西合唱団の考えは、その時点で決まっていないと話にならないわけで、非常にやっかいですけどみんなの智恵を出し合って早急に団体としての責任分担、取り組みを決めていきましょう。
 Aは、山本さんから報告がありましたが、各班キャップに集まっていただいて地域活動や班の現状について話し合いを持ち、また、個々人の所属サークル調査等をしつつ準備を進めているところです。地域活動を大切にしつつ一人一人が活動しやすい地域班体制構築のために積極的に話し合いをしていきましょう。この件も団総会までの限られた時間で決める必要があります。
 何かと取り組みの多い合唱団で疲れることもありますが、前回の練習で指揮者の投げかけた問いに真摯に出された意見、解釈に元気を得て書きました。よろしくお願いします。【副団長 バス1 T】

2007.11.1
No.0735
92期研究生2回目の合宿(10/13土・14日)長居ユース
 10月13日(土)・14日(日)、長居ユースホステルでにぎやかに合宿を行いました。研究生8人のうち6人が出席。アルトのエルモが14才の誕生日を迎え、ケーキと飲み物で祝杯をあげました。初日の練習は4曲目と5曲目を同時に始めていて大変。「天使にラヴソング」より「Hail Holy Queen」。それともう1曲は「河の歌」。譜読みの段階で頭がパニック状態です。今回の合宿は盛りだくさんで、創作曲の歌詞づくり、ステップコンサートの話し合いと、決められたスケジュールをこなしました。
 前回の合宿と比べると、研究生同士の繋がりは、はるかに深くなっています。ニックネームも板についてきました。名前よりニックネームの方が先にでてきます。その中で前期とは違った今期のカラーができつつあります。修了演奏会にはバッチリみてもらえると思います。楽しみにしていて下さい。【研究生担当 バス2 I】

2007.11.1
No.0735
紙面交流しませんか
 前回(10月29日)の練習時に指揮者から「ふるさとの星」の中に出てくる歌詞について、問いかけがあり団員からいろいろと意見・解釈がだされました。練習を深めるいい時間だったと思うのですが、限られた時間の中でしたので言い足りない方や考えがまとまらない人もいたのではないでしょうか?
 バス2のIさんが、迷いながらも意見交流になればと自分の考えを文章にして機関紙に投稿していただいたので掲載いたします。以下へ

2007.11.1
No.0735
「あこがれって、何?」   〜連続紙上討論「ふるさとの星」1
 組曲「空に小鳥がいなくなった日」の4曲目「ふるさとの星」に出てくる「あこがれ」が話題になった。何に対するあこがれなのかが、指揮者から問われた。「あこがれ」をどう歌うのかに関わっての問いかけである。色々な読み方が披露され面白かった。
 「ふるさとの星」は3節からなっている。1節目は、生きる物すべてが互いを支えあって命の連鎖を続けている地球を詠っている。2節目は、終わることのない憎しみと永続しない喜びを人間は繰り返しているけれども、地球は安らぎを与えてくれる、そんな物言わぬ地球を詠っている。そして3節目である。青空のような瞳とはだれの瞳だろうか。私は互いの瞳だと思う。青空のような互いの瞳をみつめあいながら、人は憧れを持ち続けてきた。人間としての幸福を求めてきたはずの憧れが、遠くから地球をみると、谷川俊太郎の目にはそれがせめぎあっているようにしか見えない。しかし私たちには地球がある。みどりの地球がある。
 4つの詩は勿論別々の詩であるが、外山雄三という作曲家が組曲「空に小鳥がいなくなった日」に編集したときから、作曲家の意思が全編に強く滲み出ることになった。谷川俊太郎の立場から見るとどうなのかは別にして、「ふるさとの星」に外山雄三の解釈が加わった。組曲を聴く人たちは、全体から一つのメッセージを受け取る。「あこがれ」からヒトは、道路をつくり、港をつくり、公園をつくった。そしてヒトは未来を信じ、知らずに歌いつづけている。知らないのは、ヒトに自分がいなくなったことであり、空に小鳥がいなくなったことである。谷川俊太郎にとって歌うとは詩を書くことかもしれないが、外山雄三にとって歌うとは歌を歌うことのように思える。作詞家と作曲家の歌う理由は「くやしさといらだちの一滴の涙」だという。あまりにも衝撃的なこれらの言葉は簡単に頭から離れることもなく、私たちは「ふるさとの星」を歌ったり、聞いたりすることになる。そして地球への深い信頼に満ちた言葉に出会う。私たちにはそれは本当に救いである。みどりあふれる地球はすべての再生のエネルギーなのだ。
 しかし、谷川俊太郎も外山雄三もそれで本当に救われたと思っているのだろうか。二人の心の傷は深いが、ひとりぼっちの子どもに焚き火をしてやろうという人たちや、緑の地球にしか傷を癒すものがないこともよく分かっている。その思いが組曲に浮かびあがってきて、感動を呼ぶのではないだろうか。人を愛し、地球を愛するゆえの「くやしさといらだち」に共感する人は多いはずである。
 定期演奏会では、組曲「空に小鳥がいなくなった日」の直前にレガーテがやはり谷川俊太郎の「生きる」を歌った意味は大きい。「生きる」は生きることの瑞々しさを真っ直ぐに歌った曲である。それは宝石箱のように言葉がきらめいている。この詩人には「くやしさといらだちの一滴の涙」と、「生きる」とは「すべての美しいものに出会うということ」の二つの世界がある。5月には説明など一切なくこの2曲を聞き手に届けたのだった。願うなら、歌の順序が逆であったらと思うだけである。
 奈良祭典では、「あこがれ」という言葉は「ボクたちのさがしもの」の中で出会うことになる。コルチャック先生は「きみたちに一つだけ、あこがれをおくることができる」と子どもたちに告げる。あこがれの中に科学の発達や人々の暮らしの向上もあるが、それにはおおきな代償を私たちは地球に払っている。あこがれとは一体何なのだろうか。人と地球との共存は意外に難しい。あこがれは生きる意味であり、人間を豊かにするのに欠かせないものである。それにつけても、「生きる意味をさがすのは」大人にとっても、「とてもつらいこと」である。 諸氏のご意見を請う。【バス2 I】

2007.11.1
No.0735
鴫野に咲く花 クコ
 クコの名前をご存知の方も多いと思います。身体によいと評判になった時もありました。若葉は食べられるし、果実は果実酒に、乾燥した果実は強壮・解熱に使われます。クコ茶もあります。紫色の花は7月から11月ごろまで次々と咲きます。