機関紙「くれっせんど」より

2009年 5月 911号〜914号       バックナンバー  現在

2009.5.28
No.0914
第94期研究生募集の成功を!
 今、合唱団は7月の定期演奏会を何としても成功させるためにチケット普及に力が入っていますが・・・、第94期研究生募集も大きな柱!と位置づけてください。
 あれよあれよという間に、6/26開講の入団式は迫ってきます。その前に2回の説明会(6/12・19)を設けています。そこでどれだけの人が集まってくれるのか、先期のようにたくさんの人を迎えられるようにみんなで知恵を出し合いましょう。
 うたごえの仲間を増やしていく手段はいくつかあると思いますが、研究性教育もそうです。研究生期間(8ヶ月)の中で「みんなと歌う喜び」「みんなで作り上げるコンサートで団結」等々の経験をすることが出来る場です。是非、研究生のことも訴えながらチケット普及をしていってください。よろしくお願いします。
 ※私が研究生担当をするようになって初めてのことですが、現時点で6名の方から問い合わせ、入団希望と聞いていてちょっと嬉しくなっています。でも、気を緩めないで募集成功にも力を入れていきましょう。【アルト2 S】

2009.5.28
No.0914
(月例エッセイ)
音楽を作るのはだれ?守屋博之
 練習のなかで音楽を作るのは指揮者だと思っている人が多い。
 たしかに指揮者は、みんなより少し先に曲の勉強をする義務がある。その上で、ああしよう、こうしようと注文を出す。合唱団員にむかってボールを投げ続ける。そのボールがストライクゾーンにぴったり入り、スピードも十分だと、うたい手の反応は強いものがある。もちろん、まともな指揮者は投げるだけでなく、そのボールをみんながどう受け止めたかを常に聴き、感じているものである。不適切な投球だと、みんなはちゃんとうたってくれない。あいまいな声になる。そんな場合には大急ぎで投球内容や投球方法を修正する。
 練習とは、そのような音楽のボールのやりとりの場である。そんなやりとりの中で音楽は作られていく。言葉はなくても、うたい手と指揮者のあいだには会話がある。
 だから、指揮者のイニシャティブは大切だが、音楽を作るのは「みんな」だと僕は思っている。もちろん、その「みんな」のなかには指揮者もはいる。

2009.5.28
No.0914
声楽発表会に向けてひとこと
非常に辛抱強く修練を重ねて得るものは・・・
 外山さんが、昨年東京での日うた祭典会場でうたごえ新聞社の質問「61年目のうたごえ運動に」に答えて、「音楽が力を発揮するには、自分の持っていることを音楽表現、つまり演奏として表すために必要な基本が技術的にも音楽的にもあります。非常に辛抱強く修練を重ねてようやく手に入るかどうかというものです。根本的に感じる能力、表現しようとする意欲ではなく意志がないとだめだと思います。今は、いろいろな刺激、便利な機械・道具があって、逆に本当に追求するのは大変な時代ですが、追求していかなければならないですね。」とおっしゃいました。このことばを私達はどう受け止めたらよいでしょう。ひとりひとりが努力し、それが実を結ぶために・・・。【バス1 T】

2009.5.28
No.0914
チケット普及に行ってきました
 5/16(土)きたえ〜る班5名で北部センター合唱団の練習場(茨木市内)へチケット普及に行ってきました。音楽センターの3倍くらいの広さでうんと明るい会場です。19時より始まる発声練習にも参加し、休けい時に“誓い”をアカペラで歌いました。チケットは5枚(予約含)売れました。
 9時過ぎ、阪急茨木駅に着くと雨天で人通りの少ない駅構内から澄んだ歌声が聞こえてきたので思わず「良い声ですね。」などと言いながら近づきました。とても感じのよいストリートミュージシャンです。大和田さんはすかさず“青年とともに・・・”のパンフレットを渡しさそっていました。練習に来てくれるといいな・・・。【きたえ〜る班 アルト1 K】

2009.5.28
No.0914
60周年記念合唱団
5月の練習に参加して
 月一回の記念合唱団の練習日。土曜日は、午後の行事が多く、午前中の2時間は、大変ですが心を入れかえ3月から再度参加しています。参加者の多くが、かって合唱団の現役で様々な理由で合唱から離れていた方、転勤などで引っ越され地域で活動されていた方など、また多くが様々な人生経験を積み重ねられている方でその“年輪”が声に響きに溢れた合唱団です。
 また月に一度の練習で「舞台に立とう」ということで毎回の練習への集中度・練習までの間の努力は敬服するものがあります。指揮者の守屋さんも「歩留まりのいいソプラノ」とその努力を評価されています。一人一人の日常の活動・努力が理性的でまとまったコーラスになり関西合唱団では味わえない空間に浸れる一時です。音楽会も近いですが、ぜひ一人でも多くの方がこの快感を味わいに来て頂けるよう呼びかけます。【ポマB バス2 F】

2009.5.28
No.0914
「ひとりひとりがHERO」をケイ・シュガーさんとうたいました
 第74回定期演奏会で歌う「ひとりひとりがHERO」の編詞・作曲、シンガーソングライターのケイ・シュガーさんの校区の近くで行われる旭母親大会に来られる事を知り、以前交流のあった担任の子どもたちにシュガーさんの生演奏を聴いてほしいと思うようになりました。保護者と子どもたちが参加していました。子どもたちは教室で歌っている「まちがえたっていいじゃないか」「青い空を抱きしめて」を一緒に歌いました。演奏の最後にシュガーさんから定期演奏会の宣伝があり「ひとりひとりがHERO」をシュガーさんと練習中の3人(Y、I、A)で歌いました。関西合唱団の演奏を多くの人に聴いてもらいたくなりました。3世代が集う和やかな中、最後に主催者の方から「子ども達の未来が平和であるために9条を守り続けましょう」と確認されました。【青年とともに団員 A】

 あとで音楽会のチラシを渡そうと用意していましたが、すでに資料の中に入っていてびっくり!!ケイさんが入れて下さったのですね。【アルト1 Y】

2009.5.28
No.0914
林学さんを偲んで
 5月23日午前6時40分に林学が息を引きとった。
 林学と、木下尊規と僕の三人はともに1934年生まれで戌どし。そんな関係もあって、なにかあると三人でステージに立ったりした。歌劇「沖縄」で一緒に鍛えられた仲でもある。
 林は三人の中では一番若いと言って、いつも自慢していた。なぜか髪が黒いから遠くからは若く見えるのである。その、若いはずの林が、もう死んでしまうなど、あってもいいものだろうか。
 彼は、心やさしく、まがったことがきらいで、気が弱いくせに頑固で、器用に生きることが下手だった。あんなに自然で、だれにも出来そうで、だが彼にしか出来ない沢山の名曲を林はつくった。僕が一番好きな「芦別の雪のなかを」も彼の作品だ。
 彼は酒が好きだったのに僕は飲めないし、しらふで話し込むにはあまりに彼はシャイだったから、会っても会話はいつも数分以上続くことはなかった。でも、彼は僕が音楽的にも人間的にももっとも信頼していた本当の仲間の一人だった。
 いま、自分のなかにぽっかりと穴があいたような気がする。【常任指揮者 守屋博之】

2009.5.28
No.0914
編集後記
 手書きで書き写していると、書きての思いがびしびし伝わってきて楽しいですよ。【アルト2 T】

2009.5.21
No.0913
定期演奏会の企画に寄せて
 「ひとりじゃないんだ人生にはみんな意味があるから あきらめないで自分を 今を生きていこうよ・・・」と定期演奏会チラシにはキャッチコピーが書かれています。
 8年連続で3万人以上の自殺者があり、年収200万円未満の世帯が全世帯の約19%、898万世帯にのぼり(厚生労働省「平成18年度国民生活基礎調査」)、昨年秋以降「非正規切り」で職を失った人が数十万人にもなるなど、この国には貧困が広がっています。年越し派遣村の村長だった湯浅誠さんは、雇用や社会保険、生活保護のセーフティネットからこぼれ落ち、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していると、「何のために生き抜くのか、それには何の意味があるのか、何のために働くのか、そこにどんな意義があるのか、そうした『あたりまえ』のことが見えなくなってしまい、自己責任論によって『あなたのせい』と片づけられ、さらには本人自身がそれを内面化して『自分のせい』ととらえてしまう場合、人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。」と生活相談の経験から述べています。(『反貧困』岩波新書)
 今年のうたいはじめで門真市のタイガー魔法瓶で派遣労働者として5年間働いて突然解雇され、裁判をたたかい昨年末勝利和解した若い女性の経験を聞きました。労働組合や争議など全く知らなかった彼女が、地域労組に出会い「一人じゃないよ。みんなが支援してくれるから。一緒に頑張ろう」という仲間たちの励ましで乗り切ることができたというお話に感動しました。このお話と、地域労組のテーマソング「ひとりひとりがHERO」が結びついて、〈青年とともに〉のステージ構想が固まりました。人間らしく働き生きることを理不尽に否定され切り捨てられてしまうもとで、それはあなたのせいじゃない、と支えてくれた仲間の中に居場所を見つけてこそ声をあげられることを彼女の勇気あるたたかいから学びました。
 私たちのまわりでも、解雇された青年の話を聞きますし、今回ともに歌う青年の中にも深刻な雇用の状況があります。一方で、働きすぎで過労死したシステムエンジニアの息子さんの労災認定を求めて裁判をすすめている方のお話も聞きました。
 私たちは、その時代に歌わなければならないこと、歌いたいことを取り上げてきましたが、今年初めのパート会議でも、はたらく人たちを励ます曲を歌いたい、青年と一緒に歌いたいという意見が共通して出されました。生きづらさを感じている子どもから青年、働いている人、高齢者、すべての人にあてて人生を応援するメッセージを伝えたいと思います。
 同時に、関西合唱団の定期演奏会は、音楽的到達の前進をはかることを目指して新たな高みや分野へ挑戦することを重視して取り組んできました。
 平和をテーマにしたステージは、外山雄三さんに当団が1990年代前半に委嘱した組曲「忘れっぽい人に」。非常に個性的な4曲からなる作品で今回で3回目の演奏となります。そして、人気作曲家信長貴富の「夕焼け」は抒情的な夕焼け空の郷愁あふれる旋律の中に、戦火を起こさない祈りが込められた素敵な曲です。
 また、日本の合唱界で大ヒットしているチルコットの「リトル・ジャズ・ミサ」を取り上げます。ミサの典礼文にジャズテイストで合唱とピアノ・トリオで演奏される面白みを味わっていただきたいと思います。
 様々なジャンルのステージを楽しんでもらえる演奏会を多くに人に聞いていただきたいと思います。【企画委員長 テノール2 Y】

2009.5.21
No.0913
いおうとう(硫黄島)
 1941年12月日本軍のハワイ空襲により始まった太平洋戦争は、米軍の反攻によって日本の形勢は悪化していき、1944年には、絶対的国防圏としていたマリアナ諸島(サイパン、グァム、テニアン島等)が陥落、進出した長距離爆撃機B29により日本本土空襲が始められた。硫黄島は、東京の南1080km、グァム島の北1130kmの場所にあり、ポツンとした小さい島であるが日米双方にとって軍事上重要なポイントになってしまった。
 1945年2月この小さな島を攻略するため米軍が準備した兵員11万人と日本軍の守備隊2万1千名の間で激戦が起こった。日本軍は、援軍や補給の望みがない中で、言い切ると勝てない戦と分かりながらできるだけ闘いを持久戦に持ち込むため、文字通り硫黄の充満する地中を掘って、トンネル要塞化を計り、粘り強く戦ったが、3月中旬5倍以上の敵の前に敗北した。守備隊2万1千名の内戦死者2万100名あまり、消耗率96%という「玉砕」であった。日本軍は、洞穴や人造トンネルを利用したため、上からつぶされたり、穴の中にガソリンを流し込んだ上に火炎放射機で焼かれたり、手榴弾を放り込まれたりして攻撃されたので、歌のなかで遺骨収集とあるが、かなり地中に眠ったままになっているらしい。ニューギニア、ソロモン諸島、フィリッピン、インパール等々しかり。
 つまり、靖国神社参拝を問われると国会議員が口にする「国を守るため戦に殉じた英霊」たちが骨も拾ってもらわれぬまま半世紀以上放置されているわけで。
・・・硫黄島でむすこをうしなった・・・なんと呼ぼう・・・は切ない。【バス1 T】

2009.5.21
No.0913
中桐雅夫について
「酒」から「何と呼ぼう」まで
@「かわいそうなひと」とは誰か?
クレッセンドに中桐の妻白神文子の一文が掲載された。「私は中桐雅夫のパートナーであって、白神鉱一の妻ではなかった。」という言葉を読んで、雷光に打たれた気がした。物書きの妻の叫びがそこにあったからである。歴史小説やドキュメントなどを書く人は、自分は安全地帯にいて、他者をえがいている。それらの作家の妻も同様に安全地帯にいる。しかし、純文学や詩人は自分を離れて、言い換えれば自分を傷つけずに物を書くことはできない。自分の恥部をさらけ出すのに躊躇するようでは、人の感動を得ることはできない。従って、その種の作家の妻もいつ自分のことがどのように書かれるかもしれないという恐怖を持っている。語弊があるかもしれないが、女性は自分の正当さにとても拘るところがある。それが、不本意に妻たる自分が露呈され、しかも文学の名のもとに反論もできずに世間のさらしものになる。「二日酔いの耳に、ぶっ殺してやりたいわといわれた時、/おれと女房も唐傘の骨はばらばらだと思ったねえ」「女房もうるさい、酔って午前様で帰ってくるより、/いっそ帰ってこない方がいいという、/ぼくが煙草をやめているのに女房はすっている、/ぼくがわがままで、けちだという−そうかもしれぬ。・・・亭主なんかいなくても食べていけると/いいはしないが女房はそう思っている−これは確実だ。/だからといって自殺するわけにもいかぬ。/甲斐性なしの耳には愚痴だけがよく聞こえる」こんな詩を夫に書かれたとき、文子は身を固くして居直るしかないと思ったかもしれない。なぜそんな内輪のことを世間にさらすのか、私は詩人中桐雅夫とともに暮らすパートナーであっても、妻を守り愛してくれる夫白神鉱一の妻でないという叫びが、私に伝わってきたのである。しかし詩人中桐雅夫は妻文子が求めたであろう生活に対して、詩「しあわせな人」で幸せな人を皮肉たっぷりに罵倒し、詩人としてぼろぼろになった自分を肯定している。彼にはそんな生涯に詩人としての誇りを感じて死んだのであるように思える。かわいそうな人とは誰だったのか。それは、詩人の妻として生きることのできなかった白神文子本人だったのではないだろうか。私にはそう思えてならない。次回Aは「酒と中桐雅夫」です。【あまのじゃく】

2009.5.21
No.0913
編集後記
 音楽センターの改修工事が10月から12月にきまりほっとしました。しかも目標を大幅超過達成、ヤッター【ソプラノ2 I】

2009.5.14
No.0912
未来を担う青年とともに歌う私達のステージを見て、聴いてほしいー!
―チケット普及活動 今日から―  誰に聴いてもらいたいか・・・
 昨年はうたごえ60年の節目でしたね。今回は、気持ち新たに、65周年、70周年に向かう最初の演奏会です。未来を担う若い人たちと共に歌うステージは、スタートにふさわしい企画ですが、そのステージを誰に見ていただきたいか、聴いてほしいかという事も大切かなと思います。
 自分自身が20代に見たうたごえ祭典の感動は、言葉にすると薄まりそうですが、今まで続ける事ができた一因です。
 チケット普及というとすぐに数の話になりがちですが、誰にどう普及するかとか、地域の団体に宣伝してみようとか、個人の活動と班あげての活動が活発に響き合い広がればと思います。どうかよろしくお願いします。【バス1 T】

2009.5.14
No.0912
平和とうたごえに浸って アツーイ一日(5/9日)平和パレード
中之島で、のえで、鴫野で
 5月9日(日)昼より、「平和のパレード」に参加。淀屋橋から難波まで歌いながら歩く。バス1のTさん、ソプラノ1のKさん、ソプラノ2のMさん、私の参加。うたごえのみんな、合わせても10人もいなかった。気温30度。御堂筋の銀杏並木が陽射しを若干遮ってくれた。全体で約100名の参加。
 次に、「のえ生協診療所うたごえサークル」の練習に参加。退職される職員の方がいて、「ご苦労さま!」とみんなでケーキを。食べ終わった頃にソプラノ2のAさん登場。いつも必ず来てくれる人を待つべきだったと反省。
 次にAさんと鴫野駅前に行き、「9の日宣伝行動」に参加。バス1のTさん、アルト2のSさん、ソプラノ2のIさん、Aさん、私。マイクを離しても高らかに響き渡る荒井さんの声に通られる方耳を傾けておられました。一日中、平和とうたごえに浸り幸せでした。【アルト1 Y】

2009.5.14
No.0912
ミュージカルの衣装を着て 平和パレード参加
 「いつもみたいに途中からデモに加わるのんでも、いいから、あかんかな〜」と、そこまでテノール2のYさんから期待されちゃ〜と、揺れていたところにミュージカルの仲間も参加すると前日にわかり、仕事早退しちゃいました。エヘッ。
 ミュージカルのド派手な衣装を着てパレードすることになり(ラッキー!)テンション高くなっていたところに「うたごえの人、前に出て下さい」と言われ、そのまま行きました。「昴」の立川さんの隣で「憲法九条五月晴れ」を歌っていると、二番で私にマイクが回ってきた。衣装を着ていたので、石川さゆりばりに唄いましたよ。そして難波までムツゴロウ、シオマネキ、渡り鳥、私はブーワン貝としてうたい歩きました。衣装を着てのパレードは病み付きになりました。【ソプラノ2 M】

2009.5.14
No.0912
盛り上がった青年交流会
 青年とともに歌うステージに参加する人たちは、練習後毎回交流会をしています。10日の練習後は、新たに参加した5名を含めて、歌った3曲と練習の感想などを話し合いました。解雇された経験や派遣で働く思い、育休がとれないなど労働条件が守られていないことなど「ひとりひとりがHERO」を歌うことの意味について想いが出され、がんばって歌おうと盛り上がりました。

2009.5.14
No.0912
西日本合唱講習会(5/5・6京都)に参加して
 5月5、6日の2日間、京都で行われた合唱講習会に参加しました。初めての参加です。前もって楽譜が送られてきたので、予習をしてちゃんと歌えるようになっている事が前提の講習会なのだとわかったのですが・・・。
 参加してやはり得るところは大きかったです。
 発声は息の流れに声をのせてとよく言われます。それが体のしくみと合わせて説明され実演を伴って教えていただいたので納得できました。また、テノール1のSさんが息を回してとよく言われますが、ひょっとしてこういう事なのかもしれない等々。でもわかったからといってそうそうできるものではありません。これから練習の時は、口の中の洞(のどちんこより奥の方)を大きく開ける事、舌根を下げる事を心がけようと思いますが、歌っている時は忘れてしまっている事でしょう。今まで歌った事のある「生きる」「アメージング・グレイス」を今までと違った指揮者で歌うというのも大変面白いものです。「祇園祭」「いつか見た虹」は譜読みに一生懸命で、ある程度歌えるようになっていないと言われた事が少しもできないという事がよくわかりました。それでも参加して楽しかった、良かったと思える2日間でした。【ソプラノ2 K】

2009.5.14
No.0912
「手紙」誕生ストーリー
誕生日に母から届いた手紙がきっかけ
−この曲はもともと合唱コンクールの課題曲として作られたとか?
<アンジェラ>そうなんです。NHKの方から中学生用の課題曲を書いてほしいと頼まれて、そのテーマが“そして☆未来へ”だったんです。でも私が中学生に言ってあげられるのは「この先、大変だぞ」とかそんな感じのことしかなくて(笑)でその次の週くらいに30歳っていう節目の誕生日を迎えたんですけど、その時に母から手紙が届いてそこに私が10代の頃に『30歳の自分へ』っていう題で書いた手紙が入っていたんですね。それを読んでみたら「今日学校で○○君にあんな事言われて最悪!」とかそんなネガティブなことしか書いてなくて(笑)でも10年以上も経っているからその○○君っていうのがどうしても思い出せないんです。きっと今の中学生たちも同じように色んな事で悩んでいるだろうけど、それはきっと時間が解決してくれるんじゃないかって思って、それをきっかけに“自分から自分への手紙”という形で“未来”を表してみようと思ってこの曲を作り始めたんです。
−“今の自分から過去の自分へ”というのが重要なんですね。
<アンジェラ>そうですね。先生から生徒にとか、親から子にっていうと、どうしても上から目線になってしまうじゃないですか?でも未来の自分と過去の自分だったら年齢は違っても同じ自分だから、目線は一緒じゃないですか。そういう対等の目線でこの曲は伝えたかったし、何か時を超えて同じ人間がしゃべっている。決して繋がる事はないけど、もし繋がるならばこういう事が言いたいなっていうことを歌っているのです。
−この曲をどんな風にリスナーに受け止めてほしいですか?
<アンジェラ>この曲は“大丈夫だよ”っていう応援歌的なものよりも、“ひとりじゃないんだよ”っていうメッセージの方が大きいと思うんです。みんな同じように悩みながら生きているんだよっていう、そういう孤独の中での繋がりというか、色んなところで繋がるきっかけの曲になってくれたら嬉しいですね。それは友だち同士だけじゃなくて自分自身の中でも−過去の自分と明日の自分、そして今日の自分が繋がるきっかけになる曲であって欲しいなって思いますね。
(文:麦倉正樹OFFICIAL BLOGより)
【】

2009.5.14
No.0912
アンジェラ・アキのプロフィール
1977年9月生まれ 父は日本人、母はイタリア系アメリカ人
3歳からピアノを始め、中学校まで徳島県と岡山県で過ごす
15歳の時ハワイに移住し、その後ワシントンD.C.の大学に通う
2003年日本に帰国し、2005年3月ミニアルバム「ONE」をインディースよりリリース
2006年12月26日日本武道館史上初となる一人のアーティストによるピアノ弾き語りライブを行う
2008年9月17日シングル「手紙〜拝啓十五の君へ」をリリース

2009.5.14
No.0912
編集後記
 新緑に包まれた蒜山で歌って、食べて、歩いて、温泉に入って・・・本当にリフレッシュしました。来年ぜひご一緒に行きませんか。【バス2 I】

2009.5.7
No.0911
いよいよ演奏会!
チケット普及を大きな波に!
 93期研究生からの新入団員を迎えて早1ヶ月。合唱団も活気づいているこの頃ですが、いよいよ地域班もこれからが本格的活動の開始です。その最初の取り組みがメーデーでした。次は1年で最も大きな取り組みとなる定期演奏会。譜読みも全部終わっていないのでまだ具体的なイメージが湧きにくいでしょうが、ともにうたう団員の方と歌っていると「いよいよ演奏会!」という気持ちになってきますね。
 そしてこれから同時進行していくのが演奏会チケットの普及です。今年の目標は2日間満場で1600枚。合唱団団員だけで1000枚以上を目指します。個人目標の積み上げの達成だけでなく、いかに班目標を達成していくかが成功の鍵となります。
 まずは班員が班キャップを中心に、目標に向かって心をひとつに出来れば8割方成功でしょう。後はそれぞれができることを精一杯やって、去年よりもうちょっとだけ頑張る事ができたら9割、さらにみんなで知恵を出し合い、励ましあいながら進めることができれば大成功!
 とはいっても、決して簡単な数字ではありません。思うように行かない事も多いと思います。だからこそ各地域班で心を合わせ、合唱団としての大きな波にしていきましょう!【班委員会 ソプラノ2 Y】

2009.5.7
No.0911
「青年」を探して
 4月23日(木)練習を少し早く抜け、Uさんと「八尾少年少女センター」に向かいました。そこで青年たち約30名が10時まで会議をしているという情報を掴んだからです。「今晩は!」部屋に入ると、正真正銘の青年たちが彼らだけで熱心に討議しています。8月初旬に毎年行われている少年団の「センターキャンプ」の指導員会議です。その真剣な話し合いにまず感動。待つ事20分、私達の訴えの時間になりました。チラシを配り、二人で歌い、ぜひ参加してほしいと熱く語りました。興味を示した人もいたように思うけれど、彼らの頭の中を占めているのは「センターキャンプ」のようでした。
 5月1日八尾地区メーデー。団からバス2のFさん、テノール2のNさん、そして「コーラス3びきのくま」の人たちと歌いました。
 Nさんと集会参加の人達の中に青年の姿を探せども、皆無。舞台に目を移すと、若い女性が地域労組代表で訴えていました。集会後すぐ彼女の所に行きチラシを見せながら話していると、「歌は好きなので参加します」と言ってくれました。Nさんと「メーデーに来たかいあったね」と喜びあいました。舞台を青年で一杯にするにはまずは声掛けからかな、まだまだ道のりはきびしいけど・・・と思いました。【南班 ソプラノ2 I】

2009.5.7
No.0911
第50回八尾地区メーデーで“歌唱”
 今年も八尾地区メーデー開会前のうたごえに参加してきました。地域の「3びきのくま」メンバーと一緒に6名(団員は3名)で、テノール鬼崎さんのギターで15分間、メーデー歌集を片手に参加者と一緒に4曲を歌唱。「がんばろう」の曲では参加者も大きな声をあげ、拳を高く突き上げました。今年の参加者は230名、メーデー歌集は100冊普及しました。【ポマB班 バス2 F】

2009.5.7
No.0911
歓送会(5/1) きたえ〜る班
 5月1日メーデーに参加し、晴ればれとした気持ちで弁天町の居酒屋へ行きました。参加者は13名。昨年の日うた以来の久々の交流会で、この日は新入団のバス1のH君の歓迎会と仕事の関係で退団されるソプラノ1のYさんの送別会をかねていました。団に入ってどうですかという質問にH君「レッスンは楽しいです。」と答えました。yさん「退団しても青年のうたごえには行きます。」みんなうれしくて拍手、拍手。それからは各自近況報告やうたごえとの出会いや、趣味や、日頃話せないこともいっぱい話せ、とても楽しい交流会でした。【きたえ〜る班 バス1 O】

2009.5.7
No.0911
ヨッシン(吉岡勝さん)近況報告です
 4月には昴のメンバーに一時参加させて頂き、南京公演に行ってきました。とてもカルチャーショックを受けたようでした。帰ってすぐのリハビリでは、緊張していた筋肉がほぐれていたそうです。リラックスがとてもよいという事を嬉しそうに話していました。週2回通っているお陰で左の腕が少し動かせるようになってきました。今は、新婦人のサークル指導と号笛に行き、うたごえと関わりながら過ごしています。
 近々カンパの御礼と近況報告を出すようです。よろしくお願いします。【ポマB班 ソプラノ1 K】

2009.5.7
No.0911
60周年記念合唱団練習報告
5月2日(土)午前10時〜12時まで 音楽センター
練習曲 「生きる」、「さとうきび畑」、『ナブッコ』より「行け、わが思いよ、金色の翼にのって」
※定期演奏会で「生きる」は関西合唱団と合同、下2曲は記念合唱団が演奏
参加 テノール5名 バス2名 ソプラノ13名 メゾ5名 アルト8名
関西合唱団8名 合計41名
 参加は若干少なめでしたが、ビッチリ12時まで集中した練習が行われました。沖縄から来られた方も1ヶ月前に予約をしておけば格安で来れるんですよと・・・。
 記念合唱団の方にも練習前に「大阪音楽センター改修カンパをよろしくお願いします」と訴え、協力をいただいてきましたが、同団お世話係より、経過報告をしてほしいとの要望があり、バス2のFさんに報告してもらいました。で、そのあと、「500円をカンパした者にでも報告してもらってありがたかった。これからもよろしくお願いします。」との声がありました。
 定期演奏会まで5/23(土)6/27(土)7/18(土)(7/5(日)は合同)の4回だけです。関西合唱団の方にも協力いただけますよう(特にバスは!)よろしくお願いします。【ソプラノ2 Y】

2009.5.7
No.0911
編集後記
 つつじが満開!青空がきれい!吉岡さんが少しずつ回復しているようで本当にうれしいです。【アルト1 O】

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