機関紙「くれっせんど」より

2005年6月 515号〜518号       バックナンバー  現在

2005.6.23
No.0518
あの夏を忘れないと歌った私たち
日本のうたごえ祭典inひろしまへ力を結集しましょう。
 第70回定期演奏会お疲れ様でした。安広真理作品を青年と一緒に歌うステージをはじめとして企画意図が見事に成功しましたし、心配だったチケット組織も目標を超過達成することができました。団員、ともに歌う団員、安広真理作品を歌う団員、レガーテその他協力いただいた方の努力が重なり合って成功できたことをみんなで喜び合いたいと思います。成功の教訓と同時に、課題や問題点も率直に出し合いながら次回に生かしていきましよう。
 さて、定演後の合唱団活動の大きな節目は11月の「日本のうたごえ祭典inひろしま」(4日から6日)です。被爆60年に被爆地で開催される祭典に期待が高まっています。
 昨年沖縄で開催された祭典では、米軍基地の現実を目の当たりにして平和の歌を歌う心が変わったように、現場で心と体で学び感じることは歌に生命を吹き込んでくれます。多くの人がいちどきに生命を奪われた地で炎の如く心を燃え立たせて、「炎の歌」を歌いたいと思います。(四日夜ピースウェーブコンサート)今回初めての企画として、原爆ドーム前の元安川沿いで「祈り 和解 希望」をコンセプトとする野外音楽会が開かれるのも楽しみです。(5日)最終日の6日は、大音楽会で、関西合同の舞台と全国合同(「アメイジング・グレイス」から「大地讃頌」までの7曲に参加します。また4日の合唱発表会(一般の部B)にも参加します。
 祭典参加には、金曜日に休暇をとらなければなりませんし、宿泊や交通費もバカになりませんが、一年に一度全国のうたごえの仲間たちと歌い交わしエネルギーをもらう場ですので、今から段取りを組んでみんなで参加しましょう。【演奏教育部長 テノール Y】

2005.6.13
No.0517
関西合唱団 第70回定期演奏会 10(金)718名、11(土)720名
お疲れさまでした! 入場者数1438名 安広さんの作品集100冊売れたヨ
 両日ともにたくさんのお客さんに来ていただき、たくさんの拍手をいただきました。終了後、IMPビルの3F「皿っぴん」にて、安広さんも来て下さり、盛大に打ち上げ会が行われました。食事をしながら何人かの人に感想を言っていただき、最後は安広さんの指揮で「ひとつのピース」を大合唱しました。
(以下はスピーチを録音し、後で機関紙部のアルトYさんがまとめたものです。ご苦労様でした。)

 素晴らしい演奏会を聞かせていただき、ぜいたくな2日間でした。【作曲 安広真理】

 安広真理さんの後援会ができたヨ。これから何を歌っていったtらいいのか、例年になく考えさせられたコンサートだった。どんな歌を歌えばお客さんが増え、うたごえが広がるか?それぞれの部門が良い演奏をして、特徴的に光っていた。【常任指揮者 守屋博之】

 しつこく練習して何とかできたかな?初日は、言葉や思いが伝わらない、色が変わらないなどあったが、今日(土)の演奏は集中できた。あの4曲は私としては難しかったが、何とか合唱の形ができた。【副指揮者 山本恵造】

 ご心配をおかけしました。最後は何とかいったようで・・・2日目、緊張感がほぐれ、楽しそうだった。CDの注文しました。機会を与えていただきありがとう。【ケーナ 岩城雄作】

 今日ここにいられることがとてもうれしい。途中で何度かやめようと思った。10年ぐらい合唱団には動きがなかったと聞いているが、これを機に動くことが楽しいと思う人が増えてくれれば嬉しい。レガーテのコンサート、合唱団よりチョットいいかな?【ステージング 文屋淳】

 衣装に合わせてピンクのマラカスを買った。パーカッションでは何回か使っていただいてるが、今回はどうしても歌いたい。声はあまりでなかったが歌えて良かった。【ともに歌う団員 ソプラノ M】

 安広さんの曲を初めて聴いた時、涙が出そうだった。わかりやすくて、はいっていきやすくて、たくさんの人に聴いてもらいたかった。歌も踊りも私なりに頑張った。【ともに歌う団員 ソプラノ M】

 すごくいい機会を与えて下さった。お客さんの涙につられた私も涙が出そうに・・・。私のライブにも来てネ!第2第4金曜日は梅田の歩道橋でストリートライブをやってるヨ。【青年】

 気楽に参加してといわれたが、来てみれば気楽ではなかった。こんなんでええのかなと迷いながら歌ったけど、もうこれで終われるのかと思う喪失感、このあとはどうしよう。【青年 Mさん】

 歌ってよかった。関西合唱団で歌って、スゴイ良かった。感動した。団に入りたい。(その前に研究生!)【青年 Eさん】

 ソプラノMさんに誘っていただきスゴク感謝。素晴らしい安広作品に出会え、歌えることの幸せ、多くの人に共感してもらえた演奏会になったと思い、いい体験ができた。よくぞソリストに指名して下さりありがとうございました。気持ちを込めてアーを歌った。山本恵造さんの4曲は、気持ちを込めて歌うこと、演奏技術等、とてもスゴク勉強になった。お嫁に行くので合唱団へはしばらく行けないヨ。【ともに歌う団員 ソプラノ U】

 3曲しか歌えなかった。安広先生のこんないい歌、伝えていかなあかんと思った。聴く立場と歌う立場とは違う。団員になりたいナァ。【青年 Tさん】

 みんなと歌えて楽しかった。これからも機会があればまた歌いたい。【ともに歌う団員 ソプラノ H】 嫁さん、娘と初めて家族で舞台に立てて良かった。「ねがい」では皆と一体感を持ったような家事で歌が前進してゆくのが実感できた。【ともに歌う団員 バス O】

 結婚してから裏方をしている。何をするのか聴いてなくて不安だったが、今日は楽しくすることができ、いい曲を聴かせてもらった。来年もまた裏方で・・・12月には3番目ができるヨ。【バス T】

 最後、舞台で涙が出た。昨日より今日の方がしっかり歌えた。聴きに来てくれた夫と深夜1時まで演奏会の総括をした。プログラムがスゴク良かった。1・3ステージはメッセージがあり、3・4ステージで盛り上がり、2ステージではバラバラで統一されていない服装が良かった。4ステージで若い人がたくさん出てきたが、若い頃の仕事をやりたいという気持ちが湧いてくるような未来を感じた。いい合唱団に入れて良かった。教え子がたくさん来てくれ、良かったと言ってくれ、改めて歌を歌いたくなったという声も・・・。みんなに良かったと言われ、楽しい初舞台になった。【ソプラノ T】

 テノールYさんからメールや電話があると、仕事が増えると思いドキッとした。4回舞台に立ったが、団員としては初めて。企画委員、学習部、衣装係、司会、影マイクといろいろやらせてもらったが、マイクのことが気になり歌どころではなかったが、最後の4ステージはもう仕事もないので、思いっきり歌った。安広さんのは詩も曲もステキ、涙がジワ〜ッと浮かんできて、とても心に残る4ステージとなった。【ソプラノ K】

 入団して5ヶ月ちょっとなので、大きなステージで最後まで歌いきることは私にとって大変なことだった。皆さんいい方ばかりで、1つ1つていねいに教えて下さった。一つの目的に向かって一生懸命やっていく集団はこういう気持ちの良い集団になるもんだと身をもって体験した。【アルト B】

 衣装では右往左往したが、やはり統一されていない良さがスゴク出て良かった。今年は何故良かったのか総括した。お客さん、スゴク楽しそうで、自分も楽しくなったと・・・洗練されてきたネ。恵造さんの指揮良かったし、守屋さんの要所要所でピチッと押さえてくれる言葉が良かった。【ソプラノ O】

 お父さん、39.4度の熱が2週間も続いている。でも熱冷ましを飲み、演奏会に来てくれた。2階席でどこにおったかわからへんし、歌が聞こえへんかったぞォ〜!お父さん何か病気やねん。飲んで帰ってもおこらないお父さん、大好きです。歌っていて、歌えるという幸せがあるからこそ歌えるんだ。私はこの合唱団でずっと歌い続けたいです。【アルト U】(しゃべる時はずっと泣いていたUさんでした。)

 曲の仕上がりが悪かったが、最後に集中してできた。演奏会をするのに裏方はとても大切だ。もう、いずみホールでやりたくない。もう大変だ。1日目、混乱、迷惑をかけた。(彼女に?)休団中のテノールOさんに助けていただいた。それぞれのつながりで演奏会は成功する。チケットを売る事も大切だが要員確保も大切。一杯の人の中で歌う気持ちよさを味わえた。無理をしたと思うけど、無理をしても休まないで練習においで!安広さんの曲集、100冊売れたヨ!【団長 吉岡勝】

 始まった時から満員のお客さん、皆さんの努力のおかげです。枕を高くして寝られます。【組織委員長 ソプラノ Y】

2005.6.13
No.0517
団員も大活躍
第25回 大東・四条畷「愛と平和のコンサート」 (6/26日) 大東市立サーティホール
 第25回目を迎える「大東・四条畷 愛と平和のコンサート」。今年は、原点に戻って「ぞう列車がやってきた」を再演します。5月21日には、初めての合同レッスン。大東市住道北小学校の音楽室に、子ども約60名・大人約30名が勢揃い。かの名指揮者?アルトのFさんを先頭に、ピアノは土肥さん、ソリストにテノールSさん、歌い手はテノールのTさん、アルトのYさん、バスのFと団員も多数参加。6月26日の本番に向けて、着実に準備を進めています。歌い手も募集中です!【ポマト班 バス F】

2005.6.6
No.0516
さあラストスパートだ!
 ハイ!演奏会まであと4日。(うきうき)あなたの体調と演奏の完成度は万全ですか?チョー久しぶりに古巣の関西合唱団からお声をかけていただき、本当にありがとうございました。なにしろ私が歌やダンスを始めるきっかけとなった合唱団であり、また舞台に立つ快感を実感させてくれたのも、いまだに舞台に立つことが最上級の喜びという人間になってしまったのも関西合唱団の所偽?。(最近は舞台の後の打ち上げも大好きになってしまいましたが)もし関西合唱団と出合わなかったら今頃は普通のおじさんだったかな?当時、歌に、・・にに青春を燃やした日々が古くなった音楽センターの建物を通して蘇ります。そこで今、仕事をさせていただいていることが不思議な気持ちです。
 さて、懐かしがっている時ではありません。演奏会までの残された時間を大切に充実させることが今、最重要課題です。◎そこでワンポイント・アドヴァイス!
☆歌と、振り付けや動きを別々に考えずに、一体として成り立っていると“体”に納得させる。この際、羞恥心は捨てて、「私は美しい」又は「結構いけるやん」まで反復自習する。これをクリアできれば、絶大な拍手が待っています。<<練習には“鏡”を使うこと>>
☆私が在籍していた頃の合唱団の“売り”は笑顔でした。これは今でも通用します。ニカッ!
☆自分自身が「楽しむ」こと。(こんなに楽しい振付のある舞台は次はいつあるのかな?)そして、お客様に「楽しんでもらえる舞台」にしましょう!<<歌+動き+振付→感動>>
☆舞台では潔く! そして、間違ったら笑ってゴマかす!<<これはBUNYAのお約束>>
☆大切な本番まで体調管理をしっかりして元気溢れる舞台を目指しましょう!美味しいものを食べて、良く寝て、それから自主練習もやってね。美酒のために!【ステージング担当 文屋 淳】

2005.6.6
No.0516
特別練習を終えて (6/5日)八尾プリズムホール リハーサル室 
 6月5日(日)、八尾プリズムホール・リハーサル室において最後の特別練習が行われました。朝9時40分から夕刻5時50分まで長時間、本当にお疲れ様でした。立ちっぱなしの指揮はもっと大変なのでしょう。リハーサル室、指揮者の後ろの壁は全て鏡で表情や動きもよく見え、床は立ち位置がわかるようにテープが貼られていました。歌の練習、動きや位置の確認をしながらステージごとの歌の通しを行いました。
 「壁きえた」では、歌っていても喜びが感じられないとの発言がありましたが、希望に燃えていて楽しいと答える人もあり、また指揮者の思いも皆に伝えられました。2ステージのラテンの曲の部分では踊ると歌が小さくなる、ホントにそうだ、スキップすると息がはずんで、最後の「アーイ、アーイ」が難しいです。課題も確認することも多い音楽会ですが(自身では)
 来て下さるお客さんに感動していただけるよう、平和、生命の大切さを強く感じていただけるような演奏会となりますように・・・。テノールOさん、お茶の差し入れありがとうございました。当日はくれぐれも忘れ物をしないように、イヤリングを片方落としませんように・・・【アルト Y】

2005.6.2
No.0515
演奏会に向けて
 いま大切なことは、一人ひとりが歌を体で感じ、自分のものにすることだと思う。
 「歌」だから詩の理解の大切なことはいうまでもない。が、ことばを音楽にするためには、ことばについているそれぞれの音がどのようにつながり、流れ、動いているかを感じることが必要である。そのとき初めて音楽は躍動感を持ち、生きてくる。歌を総体として理解しよう。
 今日まで練習を重ねてきたが、これで完成したなどと言うことは音楽にはない。ひとつを達成すれば次の課題がまた見えてくる。
 自分の今の課題をはっきりさせ、演奏会までに出来ることはすべてやったという状況をつくりだしたときに、演奏は説得力を持つ。そのためには、みんなの受け身でない自発性がなにより大切ではないだろうか。【常任指揮者 守屋博之】

 ミンダナオ島で日本兵が発見された?ニュー、中国から加害責任を問われ続けているなど戦後60年も経ってはいるが戦後がまだまだ続いていると実感する毎日です。また未だに世界から紛争がなくならない中で、国連の常任理事国入りで軍事での国際貢献を目指す為に憲法を変えようとする動きが強まっていますが、平和憲法をもつ日本だからこそできる国際貢献をもっと考えていかねばならないと強く感じます。これらの思いを今回の平和を願う多くの曲で伝えたい。私が指揮する「生きる」「信じる」「壁きえた」「死んだ男の残したものは」はどれもこれらの思いに満ちた内容であり、人間として“隠された悪”とどう対峙するか根源的な問いかけをも含んでいる。私は曲を仕上げていく中で作品から多くの事を学び,作品に共感し演奏する中で思いを伝える事を最も重要な事と認識しています。そのためにも一人一人が作品から何を共感し伝えるのかをもう一度詩を読み込んで本番に向け高めていき、集中した密度の高い演奏を共に創り上げましょう。【副指揮者 山本恵造】

2005.6.2
No.0515
いよいよあと一週間 最後まであきらめずに
 6月に入り、演奏会まであと一週間と迫ってきました。暗譜はOKですか?動きはバッチリ!ですか??こんなにがんばったわたし達。当日は自身を持って歌いきりましょう。そしてそんな姿をひとりでも多くの人たちに見ていただきたいもの。現在、チケットの入金は1400枚目標に対し1158枚。(82.7%)ですが、申し込みによる配券は1300枚を超えています。皆さんのおかげで2日目はほぼ満席と言える状況になってきました。ありがとうございます。それに反して1日目は、お客様全員を1階席に詰めたとしても座席の8割。実際にはガラ空き状態です。せっかくの初日。やっぱり会場いっばいのお客様の前で歌いたいものです。
 そこで組織委員会より最後のお願いです。
まだ1週間あります。
@声をかけ忘れていた人や返事がはっきりもらえていない人にもう一度連絡してみましょう。(できるだけ1日目を勧めてください)
Aチケットを買っていただいた人に、当日必ず来ていただくように声をかけましょう。
B入金がまだの人は、必ずお金を集金し、入金しましょう。(発券したチケットの払い戻しは行いません。)
Cどうしてもまだ都合のわからない人には、当日のチケット預けや、当日券の販売を案内しましょう。
 とにかく、あともう少しです。体調に気をつけて、演奏も組織もやるだけのことはやって、成功に向けて悔いの残らないように皆でがんばりましょう!【組織委員会】

2005.6.2
No.0515
枚方に公演に行って来ました!(5/29日)
  5月29日、枚方の市会議員になって10周年という伊藤和嘉子さんの労をねぎらう会で演奏してきました。伊藤さんは合唱団なかまで長く活動され、過去に特団で関西合唱団にも来られた事もあり、以前お会いした時に「また、何かあったら声かけてね」と声を掛けていたことが今回の演奏につながりました。
 ソプラノKさん、Yさん、Aさん、アルトYさん、Yさん、テノールTさん、バスTさんの8名で参加し「みんな元気か」「おくりもの」「翼をください」「ねがい」の4曲を歌いました。前日に時間の変更の連絡が有り、行ってからもズルズル時間が押してしまい、私は団員が怒って帰らないかと内心ドキドキしましたが、さすがは関西合唱団の団員!誰も文句も言わずに怒ることもなく、私はホッとして本番に望むことが出来ました。
 会の後半での演奏だったので、おなかは料理とお酒で十分に満たされザワザワしているのではないかと心配しましたが、私たちをとても優しいまなざしで迎えてくれました。優しい微笑みを浮かべながら聞いてくれる人、知ってる曲を楽しそうに口ずさんでいる人、ほのぼのとした雰囲気の中で演奏出来ました。
 沢山のお昼ご飯に感激し、お礼まで頂きルンルンで帰って来ました。
 小さな公演は、聞いてくれる人が間近にいるので緊張する反面、反応を直に感じる事が出来るのでとっても新鮮で勉強になるなって思いました。音楽会前の忙しい中、夢加してくださったみなさんありがとうございました。【ポマト班 ソプラノ K】

2005.6.2
No.0515
こんな歌をふたたび歌う時代にならないように
 「婦人従軍歌」というのがあると知った。明治時代の歌だから、現在の状況にあっていないかもしれない。しかし、一且戦争が始まると、こんな考えが評価され、あたりまえになり、看護婦も、女性も戦争に駆り出されていくのだ。ぞっとする思いだ。今、歴史を逆行しようとする動きが強まってきている。私たちがこんな歌を歌わなくてもいいようにしていかねばと思う。

「婦人従軍歌」
        作詞 加藤義清、 作曲 奥好義
一、大筒(ほづつ)の響き遠ざかる  後には虫も声立てず  吹き立つ風は腥(なまぐさ)く  紅染めし草の色
二、わきて凄きは敵味方  帽子飛び去り袖ちぎれ  倒れし人の顔色は  野辺の草葉にさも似たり
三、やがて十字の旗を立て  天幕を指して荷いゆく  天幕に待つは日の本の  仁と愛とに富む婦人
四、真白に細き手を延べて  流るる血汐洗い去り  巻くや包帯白妙の  衣の袖は朱に染み
五、味方の兵の上のみか  言の通わぬあだ迄も  いと懇ろに看護する  心の色は赤十字
六、あな勇ましや 文明の  母という名を負持て  いと懇ろに看護する  心の色は赤十字  
M27年(1894年)【アルト Y】

関西合唱団の機関紙にはこの「くれっせんど」以外に、演奏教育部(といっても演奏教育部長)が発行する演奏教育部通信、定期演奏会ニュース、組織部が発行する組織ニュース、学習部が発行する「学習かわら版」があり、最近は練習の度に沢山もらうことになります。今回は学習かわら版の表面を紹介します。ちなみに裏面は広島の被爆者についての新聞記事でした。

2005.6.2
学習かわら版
No.13
交響曲「炎の歌」に寄せて
 「炎の歌」を初めて歌ったのは、大学2年の時。当時まだ芸術至上主義から抜けきっていない僕にとってかなりの難物だったのは確かだ。大江健三郎の「ヒロシマノート」を読んだりしてみたが、内容を理解していたとは思えない。特に難解だったのは、第1章「鐘」。“鐘の音をいつも聞いたのは生き残ったものたちだった”という歌詞の時間的な意味が不明だった記憶がある。
 この曲を編んでいる縦糸は「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑の碑文だと思う。この碑文の解釈をめぐっては、何度か論争が起きている。きっかけは、1952年にインドのパル判事(東条英機らをA級戦犯として裁いた極東国際軍事裁判のインド代表判事)が次のように疑問を表明したことからである。「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。」この論争は、50年代と70年代の2期にわたって繰り広げられた。
 「炎の歌」は、碑文論争に触発されたか否かはわからないが、碑文に対する問題意識から出発していることは明らかだ。第3章「石」の最後に女声合唱で美しく敬虔に歌われるが、それがピアノ伴奏により打ち消されるように消えてしまう。第4章「花」では、まるで口にするのがためらわれるかのように、途切れ途切れに、無味乾燥に碑文が浮かんでくるが、それも強烈なピアノと続く男声合唱で否定される。
 この曲の横糸は「花」の意味の展開だろうか。75年間は草も木も生えないと言われた一面の焼け野原に咲いた來竹桃の花は生命と再生の証だったのだろう。だが、原爆死に至った被爆者婦人の呪いをどの花にさがしあてたらいい…と問いかけられる。死者に「花を手向ける」ことは、人間の遠い祖先からの伝統文化であるそうだ。クロマニヨン人の棺には花粉が残っていたという。花は美しい、贈り物として心を届けるときの象徴でもある。では、理不尽なこの世の地獄を嘗め尽くした被爆者にどんな「花」を手向けるのか…冒頭の荒れ野に咲いた花の具体的イメージが歌の展開につれて人間として譲ることのできない価値を込めた花に変わっていく。
 「だから わたしは かかえきれないほどの花をささげ そして いのります」の後に天から聞こえてくるかのような美しいピアノの旋律。これ以降の歌詞は祈られる言葉であり、かぎ括弧でくくられるものだろう。「おかあさん やすらかに眠らずにいて下さい」“眠らずに”のハーモニーを感じたい。「いつまでも 花と人間のために 鐘を鳴らしつづけて下さい」生き残ったものへの警鐘、第1章「鐘」はこの伏線だったのだ。
 さて、碑文論争だが、文案を起草した雑賀忠義広島大学教授は、パル判事の疑問に対して「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。」と抗議を行い、後に広島市長、広島市も同趣旨の表明を行った。さらに、1980年代に入って真意を伝えるための英文訳の説明板を設置するなどして論争は区切りがつけられた。9.11同時多発テロ事件が起きた際「リメンバー パールハーバー」と叫んでアメリカがアフガニスタンヘの報復攻撃を引き起こしたことを思い起こすとき、広島・長崎が「リメンバー ヒロシマ・ナガサキ」ではなく「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」と報復ではなく全人類的な立場で世界に訴えたことの意味は重い。【テノール Y】